「やおい対ロリコン」の関係
ウチと似たようなことを考えている女性の意見を発見。「やおい対妹萌え」の共通点を確認するという、大学生っぽいディスカッション、とのことでちょっと参加を。
ちなみに似たような、というのはぼくがここ(id:izumino:20040730#c)で初めて書いたことで、この場合「やおい対ロリコン」という対置にしてあります。やおいにも二次創作からハードBL、ソフトBLと細かく区切ることができるように、「妹萌え」も「ロリコン」の1カテゴリとして区切った方がいいでしょうから。*1
やおいの世界が幅広くあるように、ロリコンにも「甘々な妹萌え」から「痛々しい妹萌え」、「鬼畜ロリ」と、幅の広い世界を持っていることをお忘れ無く。
で、ぼくが共通点として付け加えたいのは、どちらも「自分の性を拒否する」という面を持っている点です。
女性にはあまり実感が沸かないかもしれませんが、男性向けエロ漫画の一部(特にロリコン漫画)は、男性性を排除しよう、あるいは攻撃しようという方向性を持っています。画面構成はもとより、お話としてもそうです。
例えば、可愛らしい少女を犯す男性は必ず「悪」「ダメ人間」として描かれ、時に作者の手(その代行者として犯された少女自身が選ばれることもあります)によって殺されたり、呪われたりもします。これは、やおい作品(の一部)で女性が少年よりも低い扱いで描かれることと近いのではないでしょうか。
そして、やおい読みが「内なる女性性を拒否しつつ」「少年に感情移入している」ように、エロ漫画読みは「内なる男性性を拒否しつつ」「少女に感情移入している」という類似構造が見いだせます。
また、誰が言ったのかは忘れましたが(多分、藤本由香里辺り?)、やおいに登場する男性達が「少年化した少女」であると指摘*2されていた一方、永山薫という人は、ロリコン漫画に登場する少女が「(バストや腰のくびれを持たない)去勢された少年」であるという指摘*3をしています。要するに形を変えた自己愛であると。
両者に細かな違い(自分の性が当事者として存在するか etc)はあるんですけど、それはやはりセクシュアリティの差の問題でしょうね。
ブツ切りですがとりあえずこの辺で。ご感想いただけたら嬉しいです。
- 追記
先方のコメント欄で
id:hitit 『(略)僕自身が「やおい」「妹萌え」の共通項と思い、かつずるいと思っているのは、「自分の汚い性欲」を直視しないこと。妹萌えは家族愛というフィルタかけておっしゃるように「プラトニック」を偽装している。でもほんとに性欲どうでもいい人は「やおい」にも「妹萌え」にもむかわねーだろ?って気がしてます。。』
という意見もあるんですが、「女性の汚さをまず描いてから少年同士の愛情の美しさを対比させて描く」やおい作家が居るように、「妹(ロリータ)に向けられる性欲の汚さを中心に描く」ロリコン作家も居るんですよね。ぼくはむしろその、id:hititさんが見落としている部分に共通項を見つけるわけです。
※)一応注意! こういうのはディスカッションの一環ですので、みなさん真に受けられぬようお気を付けください。