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 移行後のはてなブログ:izumino’s note

自己嫌悪のメカニズム

 あまりこういう話題にするのは(管理人としてのポリシーから)避けるつもりだったが、普段のような日記を書く気が失せたので書く。


 自己嫌悪というのは、「うまく嘘をつけない」という時に起こるものじゃないだろうかと思う。
 「自分らしくありなさい」という言葉があるとして、勿論この言葉の裏には破壊的なアジテーション(客観的にはただ横暴な人間を産み出すだけ)が隠されているのだが、「もう少し自分の欠点を他人の前にさらけ出すことができれば、とても生きやすくなるはずです」などという甘い言葉をかけられた時、やはりそこにあるのは「自分らしくありなさい」という思想なのだろう。
 事実私は自分の欠点を取り繕うとし続けることで日々の荒みを重ねており、不健康だとは思う。かといって私の欠点はどうした所で欠点であって、何かの役に立つ物ではないし、人を楽しませるものでもない。「自分らしく」なんていう言葉は(アイデンティティの喪失だとか自分探しだとかいう以前に)意味があるとは思えないが、また、同時に、偽善者を装うこともできず、人に合わせるということが苦手な、つまり「うまく嘘をつけない」私は「自分らしくありなさい」という言葉の囁きを聞いてはその通りに振る舞うことへの魅力を感じる。
 それと同時に、自己嫌悪とはこういうことか、と四方が塞がれたような気持ちになる。自分らしくすることも肯定できず、しかしそれを健全に抑え付けることもできない。
 ともすれば俗流グノーシス主義的な思想に帰結してしまうのだが、私がこんなにも生き辛いのは「この世が私のために作られているわけではないから」、と、そこに尽きる。


 別に暗い小説を読んじゃったから今日はこうなったわけでもなくて、数日前からこういう気分なのである。普段の私は相当背伸びして日記を書いている、というのが本当の所だ。
 「ネットは好きなことを書ける場所だ」という言葉がもしあるとしても、私にはどうもそうとは思えない。
 ネットは私のために作られているわけではなく、あなたのために作られている。私はあなたのために書かなければならない。