朔ユキ蔵の単行本をまとめて再読、んでマリみて妄想
『つゆダク』以外は全部持ってる朔ユキ蔵。
朔ユキ蔵の一般的な評価って「はじけた描写がウリのブチギレ漫画家」っていう程度に留まっているのだけど、つゆダク以外の作品は「感性と情動のせめぎあい」の描写がなんとも秀逸で素晴らしいのだと言いたい次第。
感性は「純愛やロマン」、情動は「性欲や激情」といった言葉に置き換えて読んでもいい。感性が情動に乗り越えられたり、情動が感性を呼び醒ましたり、感性と情動の折り合いをつけたりとパターンを変えながら、直感的なセンスで描かいていく。そこが魅力だと思う。
逆に『つゆダク』は感性をあまり描かないまま「はじけた描写」だけを繰り返していて、それ故に過去のユキ蔵ファンを取り逃しているわけだ。
で、彼女は同性愛を扱った漫画を、意外と多く手がけていたことに気付かされる。しかもガールズラブ作品としても結構面白い気がする。
元々エロくないエロしか描けない人ではあるし、エロスよりはカルマを感じさせてくれる作品が多い。
たとえばこんな感じ。
こういう作風の漫画が『百合姉妹』に載ればあの雑誌ももうちっと「厚み」のある誌面になるんじゃなかろうか、とも思う。*1
で、これら同性愛も感性と情動のせめぎ合いがメインに描かれている。
もちろん「感性」は「正常な意識」を指し、「情動」は「正常な意識を壊す/汚すもの(具体的にはやっぱり性欲)」を形作っているところに面白さがある。
で、ちょっと考え込んでしまうのは、それこそ「まったき感性が支配している」*2マリみてワールドに「情動」を持ち込むとどうなるのか、ということで、これは結構面白い思考実験だと思う。
それがどのような世界なのかは、原作の中で既に前例が示されている。「白き花びら」がそう。
一度「情動」に敗北してしまった聖*3は、だからリリアンの社会を「感性」の世界に押し止めようと努力し、また、志摩子や祐巳との間の「感性」的人間関係を構築する行為に救われていく。
そうやって守られたリリアン女学園の秩序はとても美しく強いものであり、そして美しく強いもの程、その強さの高を推し量るために「壊し/汚してみたく」なるのだ。「白き花びら」をもう一度起こしてみたくなる。
エロができないと良く言われるマリみて二次創作界だが、その中でも催邪輪さん*4なんかは業の深い妄想を繰り広げていて、好きだ。
その中では、聖だけでなく令や祥子や乃梨子が「性的な情動」に囚われ、「非・性的な感性」とのせめぎ合いに苦しんでいる。
余談だが、朔ユキ蔵がやおい趣味を持っていると聞いたことは無いし、その雰囲気もあまり感じられない。だから彼女が描く同性愛は女性の「やおい回路」から生まれるものとはまたちょっと違うような気もする。