萌えについて3
もう少し。
・「無理やり萌えさせられるのを拒否して、あざとくないものを探して萌えた」
ぼくは、「あざとくないものを探し、無理やり萌えに変換した」→「そのような萌え絶対主義はもたない」というように解釈しています。私見ですが(こんなに孫引きされまくって、米澤氏にはいい迷惑でしょうけど……)。
「もたない」の主語をどこに設定するかで意味が変わってくるようです。ぼくは「男性のマリみて萌え」がこのままではもたない、と読んでいるんですけどどうなんでしょうね。
ちなみに、ぼくはマリみて好きな人も、マリみてのキャラに萌える人も好きです。基本的には。ぼくはオタクの愛情表現を見ることが好きですから。*1
疑問を感じる行動は節々に見られますが、ここでは具体的に言わないことにします。
あと、この米澤氏の発言問題と、↓の「見透かされること」の問題はあまり関係がないと思うんですよね。マリみて等が好まれる一因の説明にはなりますけど。*2
>今までオタクが見透かされることに寛容だったというだけで
ここは自分はちょっと違うと思います。
「見透かされてる」みたいには思ってなかったんじゃないか?
むしろ、「同じ価値観を共有する」「同じ趣味を共有する同士」
みたいな意識ではないでしょうか?
これは視点の違いで、同じことを指しているのかもしれません。
「同じ趣味を共有する同士」というのは、ファンとスタッフの共犯関係というやつですよね? そういう製作態度は80年代アニメの頃からあったと思います(代名詞的なのが『うる星やつら』や『マクロス』)。
仮に見透かされている/見透かしているとしても、この共犯関係を信じ続ける、ということが萌えオタクの寛容さであり、製作サイドの誠意だったのではないでしょうか。昔の原作付きアニメ=子供番組と違って、萌え商品は「オタクを狙い撃ちしている」ことが明確ですから、媚びや見透かしが入ってくることは大前提なわけです(それ自体を否認するのは目を逸らしているだけでしょう)。
そして、そろそろ共犯関係が維持できなくなってきたのかもしれない。あるいは、誠意ある制作陣だけが生き残って、それ以外が問題視されているのかもしれない。と。
以下はただの持論。
「あざとくない」というしーぽんや、最近「普通に面白い」「萌え以外もある」と言われがちなネギまなんかも、ぼくは媚びてるしオタクを見透かしてると思うんですよね。
単純に、「ありきたりな萌えしかない作品なんかつまらないわ」「もっとバトルやドラマのある作品が見たいわよね」と考えているオタク層を「見透かして」作られているように、ぼくは感じます。それはある一面で媚びている。
媚びることや見透かすこと自体は、悪いことではないとして、問題は、ファンとスタッフが「幸せな共犯関係」を築けるかどうかに尽きる、とぼくは考えています。*3
- ところで
気になってたんですが、
あと、マリみてはやおいの男女裏返しって話はartifactで出てましたよね。(←考察が足らないと発熱地帯が書いてましたが)
……これってウチのことなのでは???(id:izumino:20031120#p1)
発熱地帯さんのログにも同じようなことが書かれていたんでしょうか(確認しきれませんでした)。