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佐藤友哉「慾望」@『新潮』1月号

izumino2003-12-15

 ちゃんとした感想を書いてなかったので、書き置き。


 この小説を受け止めようとした場合、普通に感じる感想は「何コレ?」なんだと思います。リアリティの欠如っていうか、「殺人をテーマにして話を書く以上、作者はこれこれこのくらいの理屈を踏襲した上で書くだろうな」的なテーマ性が一切込められてなくて、「殺人がテーマの小説」を期待したら肩すかしをくらう内容でしょう。


 一応、「大人が未成年殺人者へ行う“心の闇探し”に対する風刺と嘲笑の物語である」っていう風にも読めるんですが、そんなお上品な内容の小説でもないですよね、コレ。
 じゃあなんで面白いんだろう?(ファン贔屓なのは差し引くとして)
 ひょっとして「肩すかし」「わかんない」「感情移入を拒まれる」っていう感覚そのものが読書の快感になっているとか? もしそうなら、佐藤友哉はデビュー時から一貫して同じテーマの作品を書き続けているんじゃないかという気もします。反対に、初めて読者を意識したという『水没ピアノ』や、ウソがメインだという「世界の終わりシリーズ」はそのラインから外れた位置にあるかもしれません。
 当然、両方のスタイルをうまく使い分けられればいいんでしょうけど(それで分けるなら、今の「鏡姉妹〜」は「読者に感情移入させる」側ですね)。


 そしてその「読者の感情移入を拒む」スタイルって、舞城の「わかりやすい文学」や西尾の「媚び媚びのエンタメ」に対する反抗、とも取れるんでは? まぁこれは言い過ぎかな。
 しかし『新潮』っていうチャンスの場を得てもスタイルを変えようとしない佐藤は、自分に対する「覚悟」があるのか、それとも小説家の自覚がまだ足りてないのか。ああ、目が離せないや。

  • 余談

 佐藤友哉の読者(カルト的なファンは除く)が「水没〜」で評価しているものって、舞城王太郎の読者が『煙か土か食い物』で評価しているものに近いなっと思いました。
 同じ方向性の作品(=パワーアップ版)を期待してる層が多い、って所とか。