ガンスリのギャルゲー置換
色々言ってますが、基本的に好きですよ、ガンスリ。作者の相田さんも好きです。妙に職人堅気というか、最近では珍しいタイプの漫画家さんだと思います。と、言いつつ、結構いじりながら読むのが好きなんですが、ぼくは。
ちょっとタチの悪い遊びをすると、原作の『GUNSLINGER GIRL』を「ギャルゲーのメタ的な置き換え」として読んでみることも可能で、なかなか面白いです。
普通のギャルゲーと違うのは、ヒロインとプレイヤーがゲームプログラムの存在を自覚していること。お膳立ては全て公社がしてくれますから、ヒロインとどういたすかはプレイヤーの自由です。
基本的にヒロイン側はプログラムと自覚しつつも甲斐甲斐しく接してくれるのですが、ジョゼは「ゲームと知りながらヒロインに萌えつつ、ヒロインの理想像になれるように頑張る」、という香ばしいプレイヤーっぷりを発揮してくれます。
あと「ヒロインに感情移入しすぎて、ゲーム世界を外から壊そうとした」ラバロなんかも結構イタいプレイヤーだと思いますが。
ちなみに同人誌版のジョゼは、ヒロインと一緒に公社から逃亡したあげく、行為に及んだ人です。あれは色んな意味で泣ける話でした*1。
こうしてみると、やっぱりジャンやラウーロは「まとも」な人ですね(片方はバッドED直行でしたが)。
で、ヒルシャーとマルコーは「良く知らないギャルゲーに萌えてうっかりハマってしまったおっさん」って感じです*2。これはこれで男の情けなさ、みたいなものが染み渡ります。
つまり、ガンスリの基本テーマは「萌えた弱み」です。自分にフラグを立ててくれるヒロインの前においてプレイヤーは無力だという、女性上位の寓話なのです。