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シェア・ハイト『なぜ女は女が嫌いなのか』(ISBN:4396650183) と、マリみて

izumino2003-10-03

 以前、こういう反応おどりこ)をいただいたんですが、その理解は正解に近い、と思います(というか、ぼくはこの問題をそこまで考えてなかったんですが)。

他人に対する愛情が物語を持ったのが恋愛で、男性が男性に対して抱く愛情が転化したのが友情、というかんじにまとめられるでしょうか。(中略)で、この考えでいくと「女性が女性に対して〜」というのは欠落している(性の非対象性ということでしょう)ように見えるのですが、そこに何か既存の物語を流し込もうとすれば一番親和性が高いのは男同士の友情の物語でしょうし、そうするとだから何も知らない男性がそんな物語を見てそこにまず友情を見つけてしまうのは当然のことといえます。もちろん「マリみて」に話を限ってみれば、そしていずみのさんの論に従うと「スール制度という発明」(いずみのさんの9/4のマリみて論)はさきの「女性が女性に〜」に与えられるべき新たな物語(「恋愛物語」「友情物語」と同置される「スール制度物語」ということです)なのかもしれません。

 なるほどその通りかと。もっとも、スール制度が特別に新しい発明というわけではなくて、吉屋信子の時代からそういった物語が紡がれていたのだと思いますが。マリみてが行ったのは、その現代的なアレンジなんでしょうね。
 ちょっとここらへんに関係のありそうな本を紹介してみましょうか。
 これは有名なフェミニズム(レズビアニズム)書籍なのかもしれませんが、マリみてと絡めた記事を読んだことがないので、一応。バトラーやセジウィックは良く出てくるのにね。


 それで表題の本。こんなタイトルですが、原題は“THE LOYALTY TABOO BETWEEN WOMEN”(=女性間の貞節に関するタブー)といって、「女性同士が仲良く」な体験談や告白の紹介が主です。たぶん体験談の選別には恣意的なものがあるでしょうし、取材対象に東洋女性が含まれていなかったりしますけどね。
 それと、まぁ、体験談の部分は普通に「萌えバナ倉庫」としても楽しめるので、そのテの百合物件が好きな人が読んでも面白いんじゃないでしょうか。

 著者の主張は以下のようなものです。

 私が提唱するのは「単なる女友だち」関係でもなく、「レズビアンの恋人」関係でもない、新しい人間関係という「文化的制度」です。

 なんとなく既知感を覚える文章ではないでしょうか。この提唱に対して、華麗にアンサーを返した作品がマリみてに他ならないわけで。
 ハイトの主張もマリみてスール制度も、現実に対して理想論的なのは確かでしょう(マリみてに文化的/政治的な意図なんかは有り得ませんし)。
 それでもマリみての女性ファンダムで「スール制度ごっこ」が試行されている話を聞くと、ああ、これは理想的なフェミニズムだなあ、とか思って安心するのですが。*1


 しかし、ここで気になってしまうのが、花寺のアリスくん。男友達から「おかま」と呼ばれつつ、祥子の妹になることを夢見た彼の存在を、山百合会はあっさり「中身は女の子」と認識して許してしまうのだけど、彼は性同一性障害者とも女装趣味ともゲイとも「創作世界の架空キャラクター」とも区別がつかない状態なわけで、不思議なキャラクターになってます。*2そんな彼を受け入れてしまう、山百合会の懐の広さは表現できてるんですが。

*1:なぜ安心するのかというと色々理由がありますが

*2:まぁ深く考えずに設定したキャラなんだろうけど