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 移行後のはてなブログ:izumino’s note

漫画や小説のメディアミックスで、原作ファンがガッカリするポイント

 アニメ化などのメディアミックス時に原作ファンが見たいのは「原作に触れた最中にうおおおおっと脳内で盛り上がったイメージをピンポイントで具体化したもの」でしょう、と、このあいだ人に話していました。


 その逆に、スタッフが作ってしまいやすい(しかも自信満々の態度で提供しやすい)のは「出来事をまんべんなく質の高い映像に落とし込んで並べたもの」であって、そこに原作ファンのガッカリポイント、ファンとスタッフの「軋轢」や「齟齬」が集中すると考えていいはずです。

熱心なファンは「深い感動」を経験している

 ある作品のファンになる動機としては、「強い感動」が不可欠です。
 そして、その感動には「脳内で勝手に盛り上がった主観的なイメージ」が必ずともなっています。
 この「勝手に盛り上がった」という部分が重要です。


 世の中の多くの作品……特にオタク向けの作品は、お世辞に言っても「万民が感動する」とは言いがたいもので、「ファンになる」ということは「偶然ツボにハマった」ということを意味します。


 「お世辞に言っても一般の人が感動するようなものじゃない」という作品であろうと、深く感動するのが「ファン」という存在です。
 悪い意味ではありません。
 どれだけ名作として評価されていようが、その深い感動は「ツボにハマったファン」だけが脳内で作り出すものであり、ファンにならない人間から見ればどうでもいいものなのです。
 この「ファン」を獲得しやすい作品のことを、我々は「優れた名作」と呼びますが、「深い感動はツボにハマった人の脳内にしか生まれない」という本質は決して変わりません。


 ぼくは「誰にでも見える情報」を顕在情報、「伏線をちゃんと覚えていたり、作品の方針を感じ取ったりした者しか意識しない情報」を潜在情報、と呼び分けて考えますが、後者の「潜在情報」で感動した人だけが、熱心なファンになると言えるでしょう。

主観的に伸び縮みする時間

 小説や漫画のような、(「見る」メディアではない)「読む」メディアの作品では、この潜在情報や「脳内の主観的なイメージ」が特に大きな働きをします。


 例えば「歌」でもそうなんですが、熱心なリスナーが「歌詞の意味に集中しながら聴く」ことによって、「歌詞のフレーズと歌手のキャラクターとメロディが一致して、一気にイメージが盛り上がる瞬間」があるでしょう。


 それは「歌詞を意識しないで聴く歌の良さ」とは全く別物です(音源が同じであっても)。
 CMソングや流行歌としか認識していないリスナーと、歌詞を読み込んだり歌手のバックボーンを知ったり、カラオケで何度も練習したりするようなリスナーとの違いがそこに生まれます。
 音楽の「顕在情報」だけを耳に入れるリスナーと、「潜在情報」を意識しながら聴くリスナーの違いです。


 また、「時間」というものは主観によって伸び縮みするものですから、同じ曲でも心理状態によって「実際よりも長く感じるフレーズ」や「実際よりも短く感じるフレーズ」が生まれたりします。
 歌詞に集中しながら歌を聴くと、感動的なメインパートは曲全体の大部分を占めているような錯覚を引き起こします。


 これを「主観時間の伸び縮み」と呼んでみますが、だから同じ曲であっても、単なるBGMとしてなんとなく流していると、「感動したはずのパートなのに意外とあっさりして聴こえる」現象が起こったりします。


 逆にいえば、「主観時間」で聴いていない、ファンでもない只のリスナーならば、そんな風にあっさり聴いちゃってるということです。
(だからよく出来たMVやPVは、あっさり聴かれちゃわれないよう、映像でリスナーの主観を「感動的なパート」に誘導してやるわけです。CMソングも「印象的なサビ」だけをカットして、フレーズを覚えてもらおうとします。)


 漫画や小説も同じです。ファンとして「主観時間を引き伸ばしながら」読まなければ、感動するポイントなんかないのが当たり前なんです。
 もっと言えば、読者の脳内でイメージが補われることに依存した漫画/小説は、「あなたの主観でなるべく感動的に時間を引き伸ばしてください」と訴えかけることでしか成り立たないエンターテイメントなのです。


 ダレ場はダレ場として読み飛ばしてもらわなければなりませんし、感動場面は「一文字一文字の重み」を感じてもらわなければなりません。
 その一文字の重みに「うおおおお」と唸り、血圧も上がり、体も震えた読者の心を掴むことで、はじめて作品は「ファン」を獲得します。


 その反面、よほどの箴言や名画でもなければ、どんな感動的なシーンの描写だろうと、一般人がそのまま読めば「ふーん」としか思わない文章(絵)に違いないでしょう。

漫画や小説にはリズムがある

 理想的な「漫画の読み方」にはリズムというものがあって、コマ割りを「音楽」に喩える作家や評論家も多くいます。


 当然ながら、アニメなどの映像は「音楽」に近いというより、モロに「音楽」と要素が重なったメディアです。
 読者が感じていた「音楽」の要素を、スタッフがすべて代替わりして作らなければいけません。


 漫画のコマ割りや、小説の文体から「音楽」の要素を読み取らずに(「詞」だけ読んで)、編曲もできていないのが悪い映像化だ、と喩えて言えるでしょう。


 漫画の原作ファンでも、コマ運びのリズムの美しさに引き込まれて感動してから、もう一度冷静に(リズムを作らずに)パラパラ読み返すと「なんでこんなのに感動できたんだっけ……?」と呆れることがあるくらいです。
 リズム作りで失敗してるアニメ化を見て醒めるのは、きっとそれと同じことなんでしょう。


 である以上、メディアミックス作品が「原作の感動」を再演するためには「主観的に時間を引き伸ばし、主観的なイメージで重み付けをする」といった「盛る」作業が不可欠になります。
 しかし、仮にスタッフ自身が「名場面」だと認識してようとも、「まんべんなく質の高い映像化」でそれが再現できると思い違いしているようなメディアミックスが、どうしても少なくなりません。


 コスト、制作期間、チームワークなど、大人の事情の複雑さは避けえないとしても、結果として、「このスタッフは原作のここを読んだときにうおおおおって少しも震えなかったの?」と原作ファンに疑心を抱かせるのではないでしょうか。
 何がとは言いませんので、好きな作品名と、ガッカリしたメディアミックスの例を思い浮かべてください。

「どこで一番うおおおおって感じたの?」の感じにくさ

 「うおおおお」と脳内で盛り上がるイメージというのは十人十色ですから、あるファンとスタッフの間で「うおおポイント」が異なったり、様子が違ったりするのは当然です。
 なら、だからこそ「じゃあスタッフはどこで一番うおおおおって感じたの?」という問いに対する答えさえ見付かれば、原作ファンとしては納得できるとも言えます。
(その上で「盛り上げるのはソコじゃないだろ!」と叩きたくなるかどうかは出来次第。)


 しかしチームワークによる映像化は「流れ作業」になってしまいやすく(これは一般に想像する以上に、ほっとくと流れ作業化が起こってしまうものだと思います)、結果として「主観的な重み付け」のない、各自のスタッフが分担されたカットのクオリティを上げただけ、という映像が出来上がりがちです。


 だから「スタッフがうおおおおと感じたであろうポイント」も映像から判断しがたい。
 「頑張って作ったんだろうな」と苦労が偲ばれるカットなら推測しやすいですが、それはコスト面の苦労でしかなく、「主観的な重み付け」とは関係ないでしょう。
 「なぜそこを原作よりも作り込んで盛ったのか?」というこだわりが見えなければ、ファンは「わかってるな」と言わないのです。


 ちなみに、この「俺がうおおおおって血圧上がったのはココ」という主観をピンポイントに伝えようとするのが「ファンの二次創作」であって、そこだけ比較すれば、二次創作の方が「よくわかってる」と言ってもらいやすいです。
 二次創作的であることは悪いことではありませんし、「良い二次創作」がなぜできないのかという疑問にもなるでしょう。


 視聴者はできあがったものからしか判断できませんから、スタッフが実際にどんな「うおおおお」を感じ取っていたかは映像からしか推測できません。
 しかし「主観による重み付け」がなく、クオリティだけが高い映像では、いくら原作に忠実だろうと「あ、原作のキャラや絵にしか興味なかったんだ……」と思われておしまいです。
(あるいは単に、「名場面を盛り上げたつもりなんだろうけど演出失敗してるな」と思われるか。)


 あと作品によっては「主観の重み付けとか、変なことしないで映像を美しくするだけでいい」ケースもあって、それはたぶん「シチュエーション萌え」で作られていた原作の場合です。


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 例えば『劇場版 空の境界』の「俯瞰風景」は映像が綺麗なだけで感動できたけど、「忘却録音」は変な重み付けがされていて醒めてしまった、という話もしていました。
(と、いう感想にも異論があると思いますが。うおおポイントは十人十色。)


 リズムの比喩でいうと、ミニマムや単調なリズムでもいいんだ、という原作もあるわけです。
 むしろそういう「単調な原作」を探して、綺麗な映像化をした方が効率的に手っ取り早い……とみなすこともできるかもしれませんね。それはとても後ろ向きなメディミックスの発想だと思いますけど。