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安心院を救っためだかの「少年漫画」論

 ノットイコール編(?)を終わらせて、めだかちゃんが目安箱にも応じない、善吉も登場しない新エピソードに仕切り直しているめだかボックスです。『週刊少年ジャンプ』で連載中。


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 忙しくて更新できなったんですが、先々週のめだかボックスのお説教がちょっと良かったので感想を書いておきます。

劇的な物語は、都合もよくないし、自由でもなく、やはり劇的である

 安心院の言う「劇的な物語」は、「劇的だということは陳腐だ」という思い込みに繋がるが、陳腐だろうとそれはやはり劇的であって、王道のジャンプ漫画もそうなんだよ、とめだかの言葉を通して作者は語ろうとしてるんだと思う。
 めだかちゃんにとって「現実は陳腐だが劇的だ」という説教と、「劇的な物語は陳腐だが劇的だ」という説教は区別がない。
 どちらにせよ、「陳腐」な世界なんてどこにもありえない。
 そして安心院の言うように「都合のいい物語」を「なんでもありだから退屈」「陳腐」と解釈するのは、元から誤りであって、「劇的」だからこそ思い通りにならない、ままならない部分こそが多い。
 劇的な物語の登場人物は幸せにならなきゃいけないし、夢を持たなきゃいけないし、努力を強制される。人の模範を描くことも求められる。
 「ご都合主義」は、「自由自在」と異なる。
 なぜ「劇的な物語」の登場人物は自由自在でいられないかというと、例えば週刊連載しているジャンプ漫画ならば「読者」がいて、商業性というのものを成り立たせないといけないからだ。
 そういう社会的(ソーシャル)なビジネスや娯楽(エンターテイメント)の要請こそが、「作り事」の中に介在する「現実」なんじゃないか? ということかもしれない。
 安心院さんが「連載はとっとと終わらせた方が面白い」と言えるのは「商業性も読者の要請も無視して、作者のリアルを出した方が陳腐ではない現実に近付ける」という、サルでも描けるまんが教室で戯画化されていたような「メタフィクション病」「芸術家病」の兆候を思わせるが、読者や商売の要請を背負い切ることも「現実」なんだなと思う。
 本当に自由自在な物語は、どこにも発表せず、誰の目にも触れない密室で、孤独に作るしかない。
 物語も現実も、他者との関係性の中に展開する、不自由な責任の伴うものだからだ。

メッセージとストーリーは違う

 ……しかしまあ、今回の「お説教」自体は好みで、良かったのですが、そこまでの過程はなんだかチグハグで、言葉で説明されても感情的には心を動かされないなあと思ったものでした。
 ストーリー上、伏線や人間関係もロジカルに配置してはいるのですが、「ロジックですでに説明したこと」は「読者の心に伝わっていること」とイコールではないんですよねという。


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 アニメ版ではシリーズ構成にも西尾維新が関わっているそうなのですが、「ロジックじゃない勢い」も伝わってくるようなアニメに再構築してほしいなあと期待していたりします。
 風紀委員編くらいまでなら、そういう「ジャンプ漫画的なムダな熱さ」も相応にあったとぼくは感じていた……というか、その時期の「めだかちゃん」の描かれ方はとても好きだったので。