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映画『コクリコ坂から』感想

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 なるべく前情報を仕入れずに、鑑賞してきました。
 結論から言うと、面白かったですね。
 男友達3人、女友達3人を誘って観てきたのですが、女性陣が少女マンガ的な甘酸っぱいラブにキュンキュンしていたのに対して、男性陣はのっけから「ゴローが」「ジブリが」と制作サイドの話をしていたのが予定調和の流れでした。


 「ジブリがスタジオとしてどうか」「宮崎吾朗が監督としてどうか」というのもクリティカルな問題なんですが、ぼくが純粋に映像として楽しんでいたのは、「60年代の日本を描くことの魅力」であって、その、「心のなかにしかない古き良き日本」というのを描かせたら、今のジブリの右に出るスタジオはおそらくないし、ひょっとしたら今後のジブリは「延々と過去の日本を主題にアニメを描きつづければいいのでは」と思う反面、もしそれしかできなくなったらどうなんだ、と逆のことを思う。


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 庵野秀明が『魔女の宅急便』や『紅の豚』が興味ない、と語っていたのも(たぶん)そこでしょう。自分たちの過去を懐かしがって、美化することしかできないのは創作としてどうなんだ、という。
 ぼくは『魔女宅』も『紅豚』も好きな作品だから葛藤のある感想になるわけですけど、『コクリコ坂から』でもそうで、60年代の日本の、台所を中心とした生活様式を美しいと思う反面、そこに魅了されるだけでいいのかなあと悩みながら鑑賞していた部分がありました。
 明らかに戦争を直接知らない世代(戦争はおろか、作中の背景にあるであろう学生運動すら経験していない宮崎吾朗の世代)が日本の戦争体験を描いてしまう問題も、ちょっと考えてしまいます。例えば、戦争でフネが射撃を受けるシーンでも、爆発のエフェクトには力が入っているのに「その場で慌てふためく乗組員の姿」はまったく描かれないこととか。


 恋愛ものとしては、ほんとに大時代的なラブコメディで、まさにトレンディ・ドラマの影響を受けたバブル期の少女漫画や、いっそ韓流ドラマくらいに綺麗な恋愛でしたね。
 これ自体は、各キャラクターの見せ方が巧くて、魅せられましたね。個人的には、女たらしだけど「お前、風間のことが好きすぎだろう」な生徒会長や、下宿人の画家さんが見せる演技も好きでした。
 女性陣にとっては、主人公や、母親の描き方が「男の理想が投影された女性像」ではなかったことが気に入っていたようで、確かに宮崎駿ジブリ映画なら、主人公は台所仕事だけではなく下宿の切り盛りで男勝りに「労働」している様子が強調されていたでしょうし、お母さんも「いかにも男女同権運動の象徴」みたく男らしく描かれてた可能性が高いですね(育児放棄している母親を直接描かず、夢のなかで「割烹着を着たお母さん」を描いてまでして、女らしくないイメージを中和しているくらいです)。


 「昔の日本人」を美化して描いた部分としては、彼らが「礼儀」や「格式」を非常に重視していることと、礼儀には礼儀をもって応じる……さらに言えば「他人に見られていなかろうが礼儀を徹底する」というスノビズムな盲目さ、自意識によるテレの無さ、外発的ではない内発的な人間の在り方を美しく描いていた、理事長直訴までのシークエンスが、お気に入りでした。


 そこは↑で触れていた「育ちのいいキャラクターの内発性」「高度に発達した家政学帝王学に優る」にも繋がる「ジブリっぽさ」を、もっともこの映画の中から感じた部分でもありました。


 それにしても、日本の戦争体験に触れること、ノスタルジーをウリにすることは近年のジブリが「封じ手」にしつづけていたことです。
 『ポニョ』も『アリエッティ』も、必然性なく舞台が現代日本なんですよね。どちらも、現代でファンタジーを描く方がメンドウなはずなのに、携帯電話だってしっかり出てくる。それは「現代に向けて作らないといけない」という義務感があって、『紅豚』のようなノスタルジーに依存しないという心構えがあってのことでしょう。
 しかし、そのふたつは「ジブリスタッフが全力でやったら(それこそ監督が誰だろうと)面白くならないはずがない」という伝家の宝刀でもある。ある意味、ジブリは最強の切り札を切ってしまったようにも感じるんですよね。


 最後に、一緒に観にいった「ヤツ」さんの映画感想の紹介を。
 この一連の評価でぼくが執着しておきたいのは、「宮崎吾郎、意外とやるじゃん」的な監督論のアングルではなく、「ジブリスタッフは素の自力でこういうものを作れるのだ」というスタジオ論のアングルが欠かせないだろう、という点ですね。
 私見では、『コクリコ坂から』における「抑制の効いた醒めたアニメーション」のスタイルは『借りぐらしのアリエッティ』の時点からすでに現れていて、それは『ゲド戦記』の敗北から『アリエッティ』の勝利を経て獲得した「俺たちは監督が宮崎駿高畑勲じゃなくても、力を合わせればいい映画を作れるんだ!」という労働者としての自立性(これまでの独裁政権を自分たちで乗り越えた体験)を根拠にした、各ジブリスタッフの結託が成功のカギなんじゃないか? などと考えたりもしているからです。


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