変化(変易)についての基本思考
坂口安吾 青春論(青空文庫)
宮本武蔵に「十智」という書があって、その中に「変」ということを説いているそうだ。つまり、知恵のある者は一から二へ変化する。ところが知恵のないものは、一は常に一だと思い込んでいるから、智者が一から二へと変化すると嘘だと言い、約束が違ったと言って怒る。しかしながら場に応じて身を変え心を変えることは兵法のたいせつな極意なのだと述べているそうだ。
堕落論 新装版 (角川文庫 さ 2-2)
坂口 安吾
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このくだりは、劉廷芝の「年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず」と並んで気に入っている言葉なのですが、この《智者が一から二へと変化すると嘘だと言い、約束が違ったと言って怒る》という愚かさは、「二が一へと戻っても嘘だと言い、約束が違ったと言って怒る」愚かさと裏合わせになっているとも考えることができます。
「常に一を一とする愚かさ」は、すぐ「常に二を二とする愚かさ」にも移るでしょう。
一時的なものでしかない姿を見るたびに、それが「本当の姿」なのだと勘違いすることによって。
西洋科学は静的(スタティック)なものしか分析対象にできないが、東洋思想は動的(ダイナミック)なものでも分析対象にできる……とは良く言われることですが、それとも似た問題のような気がして、易の思想(陰陽思想)にも連想が拡がります。*1
冬が来て夏が往き、夏が往き冬が来て、寒暑が交替し、春、夏、秋、冬の四季が形成されている。
いわゆる「往く」とは、ひとたび去ったら二度と戻らないわけではなく、しばらく活気がなくなるだけなのである。「来る」というのも、永久に存在するわけではなく、しばらく活気づくだけなのである。
まんが易経入門―中国医学の源がわかる
鈴木 博
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ここで「永久に交替するだけなら、永久に変化しないのと同じなのではないか」と簡単に結論づけるのが第三の愚かさであって、一が二へ変化し、そのニが一へと返った時の一は、元の一ではなくなっている、いわば「一’」である。それからまた二へ変化しても、それは元の二ではない。
「歳々年々人同じからず」、という言葉はその原理を良く言い表している言葉だと思います。