バディモンスターものとしてのラルΩグラド
マイミク某氏が話題にしていて、ちょっと私見を加えたくなった記事。
2007-07-05
3. バディ物としての相手方、ブルードラゴンのグラドにキャラの魅力がない
(中略)
こんな感じで分類してみると
◆「BLUE DRAGON ラルΩグラド」
主人公:智恵を担当し、その領域ではほぼ最強っぽい?
バディモンスター:最強の一隅。力を担当するが、悪性というワケでもない。あまり個性なく生誕の謎もない。
背後構造:「四聖獣伝説」こうして見てみると、ストーリーを牽引する謎のようなものが、バディモンスターに絡んでいた方が、ストーリーに起伏と前進力をつけやすいのだろう。
もう一つ、主人公ラルの持っている「小賢しさ」という性質が、ファンタジーというスタイルにおいては、ともかく空回りしているというか、共感を得るための「少年の善性」の創出にほとんど失敗していたのが大きいのかもしれない。
こうしたバディものにおいては、「智恵と力」「善性と悪性」を、主人公とバディモンスターが分割して持っていなければならないのだけれども、ラルとグラドにおいては、「智恵と力」という割り振りはなされていたのだけれども、
ラルが善性の象徴と見えない
というのが、やはり決定的に拙かった。「善なる性の象徴」とまでいかなくとも、例えば西遊記における三蔵法師(無力だけど善の象徴)、三国志における劉邦(漢王室の継承者という金看板)
というように、智恵よりも力よりもなにより
「バディモンスターの悪性を治める無為なる善性」
すらがラルに欠け、ジャンプ読者のマジョリティからは認められなかったのだろう。
「バディストーリー」のサンプルの中に、ネウロを入れておけばクリアな視点になるのに……というのは置いておいて。
ここでいうバディモンスターというのは、いしかわじゅんがBSマンガ夜話(『うしおととら』の回)で提唱していた、「人間と異形」と同様のものですね。いしかわじゅんは、「金太郎と熊」を古典的な例として挙げていましたが。
うーん、一応引用文中にも『西遊記』のタイトルが挙げられていますが、ラルΩグラドはまんま『西遊記』翻案の物語になっていて、「背部構造」としても『西遊記』がモロにあります。
ミオ先生が三蔵法師で、ラルが孫悟空。猪八戒と沙悟浄もちゃんといる。
語り部役(主人公ではないけど主役)がミオ先生なので、ラルの側をバディモンスターとして解するのが自然だろうと思います。その場合グラドは、筋斗雲(=孫悟空のマジックパワーの一つ)みたいなもの?
グラドはバディモンスターとしての描き方が不味かった、というよりも「筋斗雲の描き方として不味かった」っていう批評の方がスジは通りやすい気はしますね。
あとは引用先でも指摘されているとおり、「三蔵法師としてのミオ先生」が、孫悟空であるラルに対して弱い拘束力しか持っていなかったというのも、バディストーリーの様式を崩すものだったんでしょうね。
それは、ラディカルな試みではあったと思いますが、少年誌向きではなかった、というのは論を待たない所でしょう。
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