サンクリとオフ会
10/01はサンクリ参加ついでに、東京でオフ会のホストやってきました。
お招きしたのはペトロニウスさん、伊藤悠さん、K山さんの三人。いずみのは各々方と数回お会いした縁がありますが、個人同士は初対面になるので、完全にいずみのがホストの場ですね。
オフ会といいつつ、内容はとにかく議論、議論、議論。意見交換が好きそうな面子を集めた甲斐もあって大変盛り上がりました。
7時間ほどかけて話し合ったトピックを適当に記録しておきます(一部ペトロニウスさんのメモを参考にさせて頂きました)。
一次会
- 脳神経科学は面白い
- アントニオ・R・ダマシオ
- 身体感覚に基づいた体験知の問題
- 「理屈(理論,技術)」と「クラフト(特殊技能,魔術)」との違い
- 「理屈」は5分で伝えられるから良いが、「クラフト」は伝えることすら困難である
- 赤松健の凄さ
- プロフェッショナルの男気を感じるというペトロニウスさんの意見
- 萌え漫画、お色気漫画なんてのは、本来なら「おもねり」の筈で、それは物語としてマイナス(いずみの「芸事において『媚びる』という言葉が何を指すかといえば、『芸の質を下げる』芸のことを指す」)になる筈なのだが、赤松健は「おもねり」のみで売ることを良しとしていないようにしか見えない。そのマイナスを補う分のプラスを作ろうと努力している
- その努力について、本人は謙遜して一切口に出さないが、でも実際は普通に漫画を描くよりもずっと困難な道を歩んでいる筈で、凄いチャレンジャーに見える
- 謙遜尽くしで、才能も無いし勉強もしてない、と自己韜晦する赤松さんが恐ろしい
- 批評というものの持つ機能は?
- 「クリエイト」としての価値を持った批評はありうるか。既にあるものの分割に過ぎないのか
- 批評家とクリエイターは両立できるか?
- 「批評家としても優秀」な押井守の才能は異常
- 岸田秀と本田透
- 本田さんの「無茶なロジックを最後まで展開させて結論まで持っていってしまう」あのパワーはとにかく凄い
- 宮崎駿のジブリやガイナックス、押井守などのクリエイターが組織をつくること
- オルガナイザーが一番重要な職業
- 会社の組織論
- 組織とは「人間のやり甲斐やモチベーションを奪う(削る)」ことで成立するもの
- モチベーションを奪われた人間をどう動かすか? どうすれば組織化とモチベーションを両立できるのか?
- 「お金だけじゃダメ」ということをガイナで学んだ岡田斗司夫
- 対して「お金とやり甲斐」の赤松スタジオ
- アニメスタジオと週刊漫画家のスタジオとでは仕事環境が異なる
- 作品論とトミノ
- 他人を参考にしてただ学ぶことと、師匠から学ぶことの違い
- 人間がコミュニケーションするときの枝葉と幹の関係
- いきなり自分の「幹」や「ねっこ」をぶつけてそれが否定されたりすると、人間はひどく傷つき、人間関係もこじれる
- このオフ会に集まった人達は、初対面で自己紹介する前からいきなり討論を始めてる(笑)のに、一切ケンカにならない
- それは枝葉の武器でチャンバラする術を心得ているからで、幹(身体)を乗り出していないから
- 「僕はこの作品が一番大好きです!」的な意見が中心の人は「幹」だけなので、否定しようもないし、議論もできない
- 武器だけで会話できる人間と、幹で会話してしまう人が居る。相手が幹で殴ってくると、その幹を切り落とすしかないから傷つけやすい
- いずみのは基本的に切り落とすタイプなので、幹ではなく「交換可能な枝葉(武器)」を沢山持った人でないと話しにくい
- そもそも幹が駄目なやつは、直してやろうとしてもどうしようもないのか?(ペトロニウスさんの職場の実感)
- 理屈屋同士は、ブログコミュニケーションは向かないので、メール(ネットの舞台裏)で意見交換するべきだ、というのが伊藤悠さんの持論
二次会 第一部
- 日本の技術者は本気でガンダムを作ろうとしている
- 二足歩行ロボを作りたがるのは日本人だけ
- 日本の技術者の情熱は、マジで漫画とアニメに支えられている
- 日本の技術が世界と勝負できるのは、漫画とアニメが日本にあるから。マジで
- メイドロボもマジで作りかねない
- SFは現実の先取りで、物語ではなくシミュレーション
- ビジネス本の新しい形
- 以下はいずみのは専門外だった話題(政治音痴なので)
二次会 第二部
最後に、スクランの7〜14巻を持参したいずみのがスクラン夜話をやった所、予想以上に好評でした。
主な発表内容はこんな感じでした。正直、ビデオカメラで収録しておきたかったとかそういう感じ。
- 文化祭編を境目にして小林尽の絵柄は変化する
- マツゲの本数と瞳の描き込みが増すことによって可能になる描き分け
- 文化祭の後からは、全てのコマに「播磨アイ」が導入される
- 漫画における「一人称(主観)」表現の機微が突出したスクラン
- 「この絵は誰の主観で描かれているのか?」「誰から見た絵なのか?」
- おそらく意図してそう描いているわけではなく、キャラクターの視点に感情移入しながら描く小林尽の資質によるものと思われる
- ちっとも可愛く描かれていない幼少期の八雲と、可愛く描かれる天満
- 自分で自分を可愛いと思っている沢近と、他人から可愛いと思われている八雲の描き分け
- 相手に求めているものが絵によって理解できる。一条は今鳥がイケメンじゃなくてもいいと思っている
- 「神の視点」で描かれる漫画と、キャラクターの視点で描かれる漫画の違い
- 1コマごとに視点を変えることすら可能。漫画だからこそ可能な、めまぐるしく入れ替わる主観交代の表現
- ディズニーのキャラデザ、東映アニメーション(宮崎駿)のキャラデザ、漫画のキャラデザ
- 文化祭編ラスト、バスケ編ラストからちゃんと繋がっている美琴のストーリー
- 誤解による「恩義の連鎖」によって絆が生まれるのがスクランの世界観であって、恩義が連鎖しない麻生と美琴の間に絆は発生しない
- 正常なコミュニケーションを取ってはいけない世界観
- 播磨が語る理想はドン・キホーテ。示唆的な「スクランブル」の歌詞
- 天満に自分を理解してほしがっている烏丸(おまけマンガから読み取れる)
- 「青年誌的なコマ割り」と「少女漫画的な絵柄」が融合している
- 現在のスクランは週刊連載にすっかり向かない作風になっている。少女漫画に週刊誌が存在しないのは何故か?
- いずみのがスクランの単行本を貸して一気読みした友達曰く、「後半に進めば進む程面白くなる」「14巻が一番面白いかもしれない」
- 単行本で読む読者は感性的に理解できているのかもしれない。ネット層の読者は殆ど「読む視点」を失っている
- 2巻の出来事を12巻で伏線として回収する小林尽。しかもフラッシュバックを使わない。「気付きませんよ!」
- スクランでフラッシュバックが使われることは殆ど無いのは、神の視点を介在させてはいけないから
- ショート漫画形式、週刊連載という「足枷」によって純化した小林尽の表現。自由に描かせるとかえってダメかもしれない。『夏のあらし!』はどうなるか
ペトロニウスさんの「小林尽はなんでここまで深い読解力を読者に要求するんですか?」という呆れ半分で感心してる様子が印象的でした。
それもそうだと思いますが、感性的に読むことができる読者ならついて来れると思うし、例えば女性が一気読みした時の感想とかを知りたいとこですね。
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