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 移行後のはてなブログ:izumino’s note

≪スクラン考3≫について、応答

 cogniさんという方から、≪スクラン考3≫に対するご意見を頂戴しましたので*1、それについて少し応答させて頂こうかと思います。
 とりあえずはじめまして。

izuminoさんの議論に一つ加えるとしたら、ディスコミュニケーションによって「何が」「どうして」起こっているのか、という結果の辺りにも注意を払うべきではないでしょうか、と思いました。ぼくはスクランのよい読者ではないですが(4, 5巻ぐらいまで友達の家で読んだだけ)、あれは基本、幸せなディスコミュニケーションと被害が大きくない誤解によって成り立つギャグ漫画であると認識してます。例えば3巻かそこらでの「播磨の沢近への誤爆告白」では、沢近がドキドキして幸せな感じになってたと記憶してますけれど、もしあそこで沢近が「はぁ?」とかいう冷徹な反応を返して、次の日学校とかで言いふらしていたら幸せな誤解には収まらず、楽しいとは感じられないのではないでしょうか。もしそうなら、『「誰かの誰かへの感情が相手に届いていない」という状況が作り出されている瞬間を特に楽しい、と感じている』が説明できなくなる。しかしさきほどのオルタナティブの想定も『ディスコミュニケーション』の一種のはずで、ディスコミュニケーションという事実だけに注意を払うと、スクランの面白さが説明できない部分もあるのではないかな、と。

 そうですね、でもそのif展開の場合でも、沢近は「播磨にドキっとしてしまった自分」というのが負い目として残るでしょうし、それは「なんとも思わなかったわよ」と周囲に言いふらす、というポーズを演じることでかえって余計に本人の心の中へ内攻していくでしょうから、その内攻した負い目がツケとなって、後日にそれはそれで面白い展開へと繋がっていくかもしれません。*2


 ……まぁ、というように、「風が吹けば桶屋が儲かる」式と言えばそうなのかもしれませんが、「ディスコミュニケーションも長い目で見ればポジティブに解釈することができるんだよ」、みたいな価値観に支えられているか否か、という問題ではあると思います。
 一時的な不幸を、遅効性の幸運として変換する作者のセンスと言ってもいいかもしれません。

多分、「善意に満たされた世界」という文言が「誤解やディスコミュニケーションがあっても、悲惨な結果にはならない」という意味を含意しているのだとは思いますけれど、その善意がキャラたちの素性のよさによる『必然的な』善意なのか、酷い誤解は起こさせないような(作品世界の)状況による『偶然的な、結果的な』善意なのか、それぞれ分割しにくい面はあるでしょうが分けて考たいと思っているところなので、個人的にはその辺りにも多少興味があります。

 偶然と必然の両方だとは思いますが、上記のif展開でも「なんとかなっちゃいそう」な気がするあたり、人間的な性質の問題なのかもしれません。
 「偶然」という意味なら、スクランの場合怖いのはむしろ、「運良く」意思疎通ができてしまうこと、の方なんですよね。
 ここまで意思疎通というものがありえない世界観が続いていると、「コミュニケーションが成立したら、何か悪いことが起こるんじゃないか」みたいな危機感を感じるんですが、それは考えすぎですかね(笑)。


 余談ですが、「誤解の後に相互理解が訪れるラブストーリー」としては、O・ヘンリの「賢者の贈りもの」が凄い典型的で解りやすいと思ってます。

 その「賢者の贈りもの」の変化系としてですね、例えば夫の方が奥さんに「なんで髪を切ったりしたんだ!」とか怒鳴り散らして、その後に(夫の居ない所で)奥さんが相手の真意と、自分への愛情に気付く……みたいな話を作ったとすると、それはスクラン的なんじゃないかな*3、とか考えるわけです。

…しかし、あのスクランの幸せな世界は今どうなっているのかなぁ。2年半ぐらい読んでません。

 個人的には、文化祭編が終わった後(10巻以降)からのスクランが凄い好きで、みんなつまらないつまらないって言うから、そのネット評に憤慨して(笑)スクラン考の2と3を書いたんですけど。
 そういう意味じゃ、ペトロニウスさんが12巻を読んだ時に「感動した」って言ってくれたのは嬉しかったです。


 それに以前も書きましたがスクランは文化祭編に入るあたりから絵柄も作風もシリアス寄りに変質していて、表面はギャグをやってても皮一枚下では一触即発の緊張感が漂っている感じですね。登場人物がみんな必死で幸せになろうとしていて、「本当にみんな幸せになれるんだろうか?」みたいな。
 でも多分、そういう緊張した要素を漫画に求めてる読者って少ないだろうから、評判が芳しくないんだと思うんですけど。自分としては今一番、気が気でない様子で連載を追っかけている作品です。

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 そういう危うい世界観を非常にうまく表現しているという点で、「二人は忘れちゃう」は凄い名曲ですよ、と。
 「文化祭以前」の世界観は小倉優子の「オンナのコ オトコのコ」が象徴していた感じですが、文化祭以降は断然「二人は忘れちゃう」ですね。是非フルバージョンの歌詞を最後まで読んでみてほしい。
 で、作品のトータルではやっぱり「スクランブル」なんですけど。スクランの楽曲関係はホントいいのが多いので、もっと評価されてほしいなーと思います。

*1:リンク先の記事自体は別の話題ですが、ちょっとした引用と註釈という形で言及して頂いてます

*2:仮にその時の沢近が、心の底から「なんとも思ってなかった」としたら、周囲に言いふらすことで「正しい意思の伝達」が成立しているわけですし、播磨も「相手を間違えただけだ」と言いやすいんじゃないでしょうか

*3:ギャグ漫画にするなら、もうひとひねり欲しいけど