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 移行後のはてなブログ:izumino’s note

ちゃんと書きたいけどまだ書けないこと

 更新滞ってましてすみません。
 ちょっと別方面の原稿やってまして、日記の方に頭を回せません。


 ところで既にお気付きだとは思いますが、id:izumino:20060710:p1に書いた記事は、ペトロニウスさんと海燕さんの、

に対するレスポンスの準備として書かれていました。
 もうちょい突っ込んで書くつもりだったんですが、後回しになりそうです。すみません。


 ただ、いずみのがベトロニウスさんのmixi日記(内容は物語三昧にアップされてるのと同じ)にコメントした時の文章を少し改変して転載しておこうと思います。こんなのでも意味は伝わるでしょうか。

 オタク・イズ・デッド問題って結局「人数」と「比率」の問題で、猫も杓子もオタクやってるんだから、全体の数で割ると薄くなるっていうのは当たり前だと思うんですよね。
 コンビニやファミレスで食えるグルメ食品が全然グルメじゃないのと同じですね。家に将棋盤を置いてる人が、年に1,2回、正月に将棋を指せばいい方なのと一緒。
 オタクも将棋と同じで、気軽に趣味にできる時代になったということで、これは単純にいいことだと思います。日本人なら誰でも将棋のルールを知ってるっていうのは凄いことですし、でも、かといって日本人全員に「定石を覚えろ」とか「アマチュアの大会に出ろ」なんて言うのは無茶もいいとこでしょう。


 ただ、相対的に見た濃さが下がっていても、その中におけるマニアの絶対数は確実に増えてる筈で、岡田さんなんかはその絶対数を見ようとしてないんじゃないかって良く思います。
 将棋の話だと、奨励会の会員数だって「正月に将棋を指すだけの家庭」が増えるのに比例して、人数を増やしていた筈です。

 萌える感性にせよ、教養主義(「教養趣味」というべきかも)にせよ、共通分母として「好き」という気持ちがあることに注目して、両者を対立軸で見ないことが大事だとも思います。


 「好き」の後に、知的好奇心よりも創作意欲が先立つ人もいれば、コレクションやコミュニケーション(仲間探し)に向かう人も居ると。
 めっちゃ大雑把な例えですが、人の性格をユング式に思考、感情、感覚、直観のよっつに分けたとしたら、それぞれ「好き」という気持ちの後の行動が異なる(教養、コミュニティ、創作、その他)わけですから、オタクという人種の行動も、それぞれバラバラに向かうのは当然のことかなぁと思います。
 「人間」が多様性の生き物である以上、「オタク」も多様性を持っていて然りですし、どちらかといえば多様であるべきだという考え方ですね。


 そういう意味では、ペトロニウスさんといずみのの行動も実はベクトルが微妙に違うんですよね。
 ペトロニウスさんは多分思考型で、何かを好きになった時、知識に向かおうとするタイプだと思うんですけど、自分は直観型なので(笑)、アイディアやインスピレーションが優先だから、知識はその為に必要だというだけの、二次的な要素なんですよね。