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 移行後のはてなブログ:izumino’s note

漫画の読み方の話

 今日はC-WWWの深沢さんからトラバを頂いた流れで、そのコメント欄でLDさんの漫研のページがリンクされており、思わず漫研さんのサイト全体をじっくり読み込んだりしてました。
 LDさんの視点はいいですね、こういう読み方には憧れます。可能ならば教えを請いたいくらい。


 深沢さんから頂いた反応に補足しますと、一枚のページ当たりに慣例以上のプロット内容をねじこもうとする点では、おそらく、椎名高志赤松健も近いことを志向しているのだと思います。
 そのオーバープロットの表現を、椎名高志は「結を増やすが、“結以外”を削ることによって、その削られた部分を逆算で想像させる」という引き算式で、赤松健は「とにかく起承転を増やす」という足し算式で行っている(といっても、引き算を行っていないわけではない)という違いなんでしょうね。


 ……実はここが結構難しい問題を抱えてまして。「読者は、流れの繋がり(=脈絡)をどのくらい削った時点で『つまらない』と感じるのか?」というボーダーを量れる絶対の基準っていうのが、無いと思うんですよね。
 ぼくなんかは、「感情レベルの繋がり」が感じられない構成を見付けると、バンバンNGを出すという神経質な読者だったりします(繋がっていないこと自体が演出として成立していれば逆に「上手い」という評価になりますが)。
 でも「それは完璧主義なだけじゃないか?」と自分で思うこともあります。椎名高志のコマ割りの件もそうですね。ぼくはしょっちゅう、自分以外の人と「いや、このコマとこのコマ、全然繋がってないんだけど気にならないの?」「気にせず読んでました」「いや、間にこういうコマを挟んだら、もっと感情がノるようになるじゃない(実際に描いたりコラージュしたりして見せる)」「ホントだ、言われてみれば」というやり取りをするんですが、「でもそれって、漫画にとってどのくらい重要なことなの?(笑)」という疑問にはなかなか答えが出ませんね。


 週刊連載で漫画を描く側の立場からすると、「作者が一度ノリで描いたコマ割り」を「客観的に見て後から推敲する」という作業は時間もかかって、非効率的だと聞いたこともあります。ネーム段階で即座に直しを入れられる(なおかつ、作者が信頼を置ける)スタッフが居ればいいんでしょうけど。