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椎名高志のコマ割りグセ

 最近、『MISTERジパング』全巻をまとめて読んでみました。
 アイディアやキャラクターは良いので、物語としては面白いのですが、漫画として読むと構成やコマ割りに難がチラホラ発見できます。ダメ、って程じゃなくて、「あっ、勿体無い!」というレベルの。
 特にコマ割りに関しては、椎名高志は極楽大作戦の時代から「1ページのコマを6コマ以上に割らない」というスタイルを通している(大体3〜5コマが普通で、6コマに割るのは珍しい)と思うのですが、そのコマ密度の低さに対して、1話あたりのストーリー展開が早いという要素が災いして、しょっちゅう説明不足な場面を生んでます。
 ギャグにしろ見せ場にしろ、「オチを出すのが早い」「起承転結の承や転(タメ)が足りない」印象を度々受けました。場面と場面がうまく繋がらなくて、一瞬ワープしているような気にさせる。考えオチというか、そのオチに至った過程(行間)を読者が考えて補完しなきゃいけないという……(そういう「読者に考えさせるネタ」を好むようになったのもMISTERジパング以降からではないでしょうか)。
 これは極楽大作戦の頃はあまり気にならなかったのですが、MISTERジパングに入ってから顕著になったのは、やはり「ストーリー展開の早さ」を求めた上で、しかしコマ数の密度を上げようとはしなかった結果のようにも思われます。


 んで、この「オチを出すのが早い」「タメが足りない」という現象は、今連載中の『絶対可憐チルドレン』でも良くあるんですよね。おそらく、MISTERジパングの頃についてしまったクセが作者に残ってるんだと思います。話のオチをいきなり出したり、キャラクターの感情が高まりきる前に大ゴマをバーンと出して決め台詞を叫ばせてしまったり。「作者が見せたい結果」だけを脈絡無しに描いているような。
 行間を読ませる演出、と言っていいのかもしれませんが、漫画の「流れ」を重視して読むと「あー、物足りない、勿体無い」と良く感じます(まぁ、読者が漫画に求める「流れ」のリズムは人それぞれなので、物足りなさを感じる人と、気にせず読む人に二極化してしまう、というレベルの問題です)。
 絶チルは今、人気的には軌道に乗ってるみたいですし、ちょっと質の高さも求めたくなる頃合ですね(ワガママな読者)。