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『マリア様がみてる〜春〜』第12話「青い傘」

 節々の描写で観るべき所はありましたが。
 アニメ演出としてのアベレージは維持できていても、欠陥というのは出てきます。
 問題は大別してふたつ。

  1. 祐巳が全くしっかりした子に見えない
  2. 前回で伏線を張っていないのに原作通りの物語を進めている

 1.に関しては今までのアニメシリーズのツケが全てまわってきてると言っていいでしょう。由乃祐巳を信頼しきってる理由が全然解らないし、弓子さんの祐巳に対する誉め言葉も説得力を持たない。なんだかギャルゲーの主人公が理由もなくモテモテになるのと同じような違和感を感じるんですけど。*1
 まぁ原作の祐巳が魅力的に映るのは彼女自身が客観的に描写されることが少なく読者の想像に任せた部分が多かったからであって、その点、映像作品であるアニメが不利であるという要素はあります。しかし逆に言えば、演出家陣はその一点(=主人公を魅力的に描くのが難しい)こそを克服するために尽力すべきだったとも言えるでしょう。*2


 2.に関しては前回の感想でも書いたとおり、傘に関する説明が後付けに終始しています。これはなんでそうしたんでしょうね? 前回で描写された限りでは、あの傘ってどこから見ても「ただの傘」で、祐巳は祥子に捨てられたショックの「おまけ」で傘を無くしてパニックを起こしたようにしか映りませんでした。そのパニックの真相を(伏線もなく)後から理由付けした所でサプライズの効果は薄いでしょうし、視聴者にとっても「ただの傘程度でパニックを起こす祐巳さん」という印象は拭いきれないでしょう。
 原作でも「祖父の形見の傘」と「祥子」は祐巳にとって等価に大切なもの(=本人のアイデンティティである「明るい祐巳ちゃん」に必要なもの)として描かれているからこそドラマが盛り上げられるのですから。そのような重要ガジェットに対する低い扱いは、スタッフの原作に対する読み込みの浅さを感じさせるものでした。*3
 アニメ化にあたって、原作のどこを拾ってどこを捨てるのかの選択を迫られるのでしょうが、今回スタッフは原作の最も重要な部分を不要と判断してしまったわけです。
 また、瞳子が「やっぱり紅薔薇さまのつぼみに相応しくない」旨の発言を祐巳にぶつけてましたが、アニメ版の瞳子がそういう素振り(祐巳に対する不信)をチラつかせたことってありましたっけ? そうでないのに「やっぱり〜」という言い回しがいきなり出てくるのは変でしょう。これも原作の台詞を伏線無しに使用していることからくる違和感ですね。


 どちらの問題にしても、アニメシリーズにおいては「いくらその回だけを頑張って演出のアベレージを上げたところで、それまでの展開や構成を活かすことができなければお話の面白さには繋がらないんだ」ということだと思います。
 TVアニメでも長編漫画でもなんでもそうなんですが、クライマックスで観客が本当に観ているのは、(その場の絵面ではなく)直前までのエピソードが蓄積されたイメージの塊なんですから。


今週の良かったところ:ドライヤーやヤカンの音の使い方が良かった(音響くらいしか誉める所が無いのか)
今週の残念だったところ:今回の悪い所がどうこう、じゃなくて(前述したように)前回までの流れが悪かった、ということなんだけど

*1:原作の祐巳も割と不思議なモテ方をする人なので、メタなパロディとして笑えなくもないがそんなもんを観たくはない

*2:例えば長沢智による漫画版では結構上手く祐巳を魅力的に描写している

*3:むしろ「ただの傘」と等価扱いされる祥子が低い存在に映ってしまう