すぎたさんからご返事が(杉の木工房)
どうもありがとうございます。批評的な文脈の中で取り上げるというアンフェアな扱いをしてしまって自分でもこの書き方はどうよと思っていたのですが、驚かせて実に申し訳ない所です。
でも実際、プリキュアンではないと言うすぎたさんの方が、他の人達よりもよっぽど脳内補完してるんじゃないかしら(笑)と感じる所が多くて、興味はあるわけですよ。この人はこのままどこに向かうんだろうと、ある意味一番目の離せない感想サイトだったりするわけですが。
ところで、すぎたさんが多分考えておられるような「安易な悲劇」というか。意図的に「冷たい方程式」の状態を作り出してドラマチックにする、という作品は基本的にぼくも嫌う所です。具体例を挙げるとキリがないですが。*1
それをただの「安易」でなくするにはどうしたらいいか、というメソッドの問題になると色々な要素があるでしょうね。最低限、矛盾は無くせ、辻褄は合わせろ、とか。
あとはやはり、「表面的なドラマチックさのカタルシス」だけをウリにしているのか、「その後ろにあるテーマ」を伝えられているのか、の違いだと思うんですよ。その点、ただ泣かせようとするだけでなく、深読みをした上でも噛み応えのあるテーマを残していた第21話は評価されて良かったと思います(もちろん、そのテーマが今後良い方向に発展するかどうかはまた別)。
さてレインボー・セラピーの件ですが、それは伏線の積み重ねの問題であって、他の人達はみんなその積み重ねを理解した上で納得してるんじゃあ? と思います。
基本的にほのかは敵を死なせることに罪悪感を持っていることが繰り返し描かれていますし、それなのに今までレインボー・セラピーをダークファイブに使おうとしてこなかったのは、単純に「効かない」からでしょう(それにマーブル・スクリューもザケンナーに対しては「癒しの技」であって、レインボー・セラピーと効果は一緒です)。
まぁ、このアニメは本来解説役であるべきメップルとミップルがかなり役立たずで、そういう設定面の表現が曖昧っちゃ曖昧なんですが……。
自分的なレインボー・セラピーの定義ですが、結局は何のことはない「抵抗しなくなったザケンナー用」でしょう、あれは。無抵抗の相手にビームをぶっ放すのは視覚的にも心情的にあまりよろしくない、という理由で用意された技ではないでしょうか。
一応今までの使用例をまとめるとこんな感じですね。
- 第6話の母熊 …ゲキドラーゴが消えたので無抵抗化
- 第12話の町人 …ポイズニーが消えたので無抵抗化
- 第15話の武者 …娘の笛の音で無抵抗化
逆に、ダークファイブが操っていて戦闘の意志がまだ残っていたり(融合ザケンナーやミミズなど)、ビームで弾き返してくるようなザケンナー(YURIKO1号や建築重機など)にはマーブル・スクリューを使わないと間に合わないわけです。……と、まぁこういう設定の穴埋めを脳内補完と呼ぶのでしょうが。
十の力の敵には十の力で対抗し、一の力しかない敵には一の力だけで対処する、という考え方がとてもPRETTY CURE的だと思いますよ。
*1:でもこの日記で何度も嫌いとは言っている。アレとかアレとか