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雑談2:東浩紀の功績

 を、探してみよう。
 個人的には、「ポストモダン的」「データベース消費」といった「流行語」をネットの一部に流布(蔓延)させた、とその一点に集約できますが。
 しかしそれらの専門用語を使って、東浩紀本人やその周辺がどう有意義な分析を行っているか、は注目しないのです(おっと、ここにも「オリジナルの凋落」が)。


 流行語化したジャーゴンの常として、これらの言葉は一義的な定義からかけ離れ噛み砕かれ、間違って多くの人に用いられてるわけですが、噛み砕かれた意味だからこそ相手に通じやすい、という利点はあるでしょう。
 例えば雑談レベルで「○○はポストモダン的」なんて言う時は「一義的/物語的ではなく多義的/データベース的な楽しみ方がメインのもの」とかそんな程度の解釈で充分だし、確かにそう割り切ってしまえば(相手もその解釈を了解してれば)一発で説明が済んで便利だと。
 そういう使い方にツッコミを入れたり本気で解釈するのは野暮なわけですよ。
 最近だと「儀礼的無関心」の使われ方なんかもそうで、これも本来の意味とはかけ離れてるんだけど、「あ、ここは儀礼的無関心でお願いします」とか、やはり一言で説明できて便利だったりするわけです。
(でもいくら便利だからって、初対面の人に向かって「ポストモダン的」で云々、とか、「うっかり」口走ってしまう事態は避けたいものだ)


 あと余計なお世話なんですけど、某ファウスト氏は東理論を市場分析・世代認識に適用しようとするからツッコミ満載になるんでは。オリジナルである東浩紀本人が、持論の現実性の薄さ(実証性は特に無いけど、だからこそ思想的な価値もあるんだよ的なポーズ)を何度も強調しているのに、そのシンパがその精神を継承していないようでは破綻するのが当然の帰結なんじゃないかなあとか。