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『花咲くいろは』最終話

 よいモラトリアム労働アニメだった……かな?
 今のご時世ではありえない「ゆきて帰りし物語」だったと思えば、現代アニメファン向けにチューンされた千と千尋の神隠しだとも言えるし、ジュエルペット てぃんくる☆だったとも言えそう。女の子はみんな輝くジュエルで素敵な魔法使いですね。私、輝きたいんです! ハッピーてぃんくるー!


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 ストーリーの序盤では、朝の連続ドラマや、青年誌の職業モノ漫画のイメージも連想していましたが、連ドラや青年漫画だと「就職して出世する」ところまで描いて終わると思うんですよね。学生編と社会人編の二部構成になっているみたいな。
 そこをモラトリアムに限定することで、「夢と目標と熱意だけを、しょぼくれた女の子が持ちかえる」という終わらせ方にすることで、ジュブナイルなファンタジーの香りも残しつつ完結したのかな、と感じました。


 でも第二期オープニングの最後の方のカットで「東京に帰って終わる」ことは暗示されていましたから、期待させていた通りの幕引きだったのでしょう。


(※電車が右方向=「金沢よりも東側」である東京へと進み、金沢の高校の制服姿は半透明になって消えていく演出。)


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性格の出てしまう「落とし上げ」のみっともなさ

 「ここはイマイチだけど」「それでも良かった」……つまり「ここは過小評価するが」「それでも評価できる」と、短所から先に挙げていく評価というのは、さも中立的に評しているように思わせられるぶん、聞いてる人の気分を悪くさせる場合があります。


 それは発言者の性格次第でもありますが、長所短所というのは見方の問題であって、的外れな基準で中立を装った論調を選ぶのは、ときに見苦しい。
 「こういう欠点はあるけどそれを補う面白さもあるから評価してます」などと擁護(フォロー)している風を装っても、まずそこを短所と決め付けるのは勝手な基準だろう、と。
 なんだその上から角度の「評価してやってる目線」は? と周囲には聞こえるわけです。


A「ええ、ここは確かに言い訳できない欠点でえ、でも……(よーしここからオレのベタ褒めの時間だー)」
B「そんな風に悪く言わないでください」
A「ええっ、僕はこの作品をー、すごく評価しようとーしてるんですけどー」


 こんな時の前者が「僕は厳しいことも言うけど好意的な語り手なんですよ」って顔したポーズに、嫌悪感を抱いたりしないでしょうか。


 ちなみにバラエティ番組のグルメコーナーや通販コーナーで活用される「落とし上げ」のセオリーというのは前述の評し方とはまるで違っていて、
「えー、私◯◯って苦手なんですよね」「どうせ普通のとたいして変わらないんでしょ」
 といったマイナスの偏見から入り、
「うそー! おいしい!」「全然違ーう! いけますよコレ!」
 というように、180度の前言撤回をするテクニックです。まぁツンデレとも呼びますが、入り口であるマイナスの偏見は全否定して100%デレなければいけないのがポイントなんでしょう。


 これはこれで「反動による過大な評価」を与えやすいという意味では、あまり評論向きではなく、印象感想(=素人の意見)になってしまう問題はあります。
 「マイナスの先入観を覆したから素晴らしい」というのは、「先入観がなければ別に驚くものでもない」わけで、受け手の苦手意識がゲタを履かせているぶん、客観的とはいえないですよね。
 しかしそれでも、前述の落とし上げよりはいくらか上品なテクニックだろうと思います。

足し引き評価か集合評価か

 デジタル思考とアナログ思考の差という気もしますが、長所と短所の差し引きでトータルの価値を計るような、足し算引き算の考え方自体を避けるべきようにも思います。
 作品はいろんな部分や特徴が「集合」として絡み合った総体でしか評価しえないだろう、というスタンスですね。


 語り口の傾向として、「全体として面白かった……けど、ここだけはどうしても気になる」という全体→部分の方がのちに開かれていく議論の余地もあると思われますが、「まずここはダメでしたね、それでもトータルで良かったですよ」みたいな語り方は、頑なに過小評価そのものを翻そうとはせず、そのまま自己完結で閉じていく観がありますから。