あびゅうきょ『絶望期の終わり』発売
ウチのサイト見てくれてる人の内の何人のアンテナにヒットするのか皆目検討がつかないのですが、これは宣伝しておかねばなりますまい。
絶望期の終り | |
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ぼくはAmazon待ち状態なのでまだ読んでませぬが。
過去の作品を含めて大好きなんですよあびゅうきょ先生は。ぼくの漫画の趣味ってのはメチャクチャ両極端で、週刊少年誌や赤松漫画が「明」の世界だとすると、「暗」に属するのがあびゅうきょ漫画ではないかと思います。
この人の同人誌なんかもかなり買い揃えていたんですが、ここ二年ほどは新刊を買えてないのが悔やまれますが。
- 追記
久しぶりにあびゅうきょの日記を読み返してみた。
商業漫画の絵は、実際のところ描いていてそんなに面白いものではない。
キャラクターは「記号」であるから最初から最後まで統一感がなくてはならぬ。そういった一定のルールに束縛されるからアートとしての高揚感はまったくない。即興的な面白さが優先出来る自費出版の作画とは根本的に違う。
キャラクターの記号化が苦手な自分にとっては、全編登場人物を統一化させるのは至難の技だ。ギブスを装着して作業している感じ。
なんというか、こう、読んだ後に「ぐうぅ」と唸らされそうになる言葉である。
最近の萌えキャラは記号的だからどうこう、とか、安易な批判をするタイプの人は、こういう作家の存在を振り返ってみてはいかがでしょうか。
「最初から最後まで統一感があるキャラクターは、記号である」というのは、当たり前すぎて忘れられがちなことで、それに気付かされると、少しゾクリとしますね。
更に「アートではない」という言い切りも凄い。こんなこと言われたら、全ての漫画家は自分の作品を「アートだ」なんて言えなくなるわけで。
神to戦国生徒会の息吹(ブレス)とは
加納さんとこより、神toの設定考察。先週の記事ですが、思いっきり紹介するの忘れてたので今更な捕捉になりますが。
これを読むと、「炎のシールドは水属性で破れるのに、水属性の攻撃を炎で防ぐことができる神秘」の謎が解明できる、筈。あかほり&高田先生がここまでちゃんと考えてたら評価を見直さなければならんかもしれません。
「そもそも息吹(ブレス)とは“波(ゆらぎ)”」
「万物もまた“波”からできている」
「ゆえに息吹も万物になぞらえることができる・・・」
しかしこれは、何度も読み返すと、ボディブローのように笑いがこみあげてくる迷文ですね。何この三段論法。