それはなんか見落としてないか? と思うとき
「supercell(ryo)の楽曲はベタベタなJポップ」という批評の決まり文句を聞くたびに、
「それは確実に何かを見落としてそうだよね、なのに言ったもん勝ちの世界だよなー」
……と、「新劇ヱヴァはウェルメイド」って言説に思うことと同じくらいの「足許のおぼついてなさ」を感じるのですが、どうなんでしょう。
違いのあるものを「同じ」って言ったり、同じものを「違う」って言ったりするのは良くあることですが、それだけにAとBを適当な印象でイコールで結びつける意見に対しては慎重になっておきたくなるんですよね。
「supercell」と「ベタベタなJポップ」が正真正銘、まったく同じものであり、そこからこぼれる「違い」が皆無なのだとしたら、その「同じ(違いのなさ)」はどこで証明するのさ? っていうですね。
違いがあるなら、その違いに気付くのが知性ってものじゃないの? って。
これはパクリ議論などにも繋がる問題で、人間は「似ている」だけのものでも「まんま同じ」って認識する脳を持っているものだからムダに紛糾したりもしますね。
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あえてこういう言い方するなら、ryoの楽曲ってちょっと「ヘン」ですよね。ぼくにとってはヘンな音楽っていう印象なので、「ベタベタ」っていう評価はよくわかんないな、とつねづね。
むしろああいうのが「普通」だって感じる人は、いったいどんな音楽観を持っているのだろう……と、想像がつかないです。