『マリア様がみてる〜春〜』第13話「パラソルをさして」
「レイニーブルー」と「青い傘」については前回(id:izumino:20040919#p3)充分に指摘し終えましたから、最終話は良かった探しをしよう……と思って観てたら予想を覆してきましたよマツシタ監督は。よくもまぁこれだけ原作クラッシュなフィルムが作れるもんだ。監督自身がファンの気持ちになって作れていない*1原作アニメの典型例だと思う。
とは言っても、むしろこんな難物のアニメ化を任せられた監督が不幸だったような気もするわけで、「画面の美しさを維持する」という(個人的には破壊的にどうでもいいことだが商業ソフトとしては重要なことだという)、一義的な仕事をやってのけた管理力は評価してもいいかもしれません……が、それはそれですよね。
もうこうなったら理屈じゃなくて映像的な好みだけを箇条書きしますので。尺の足りなさは考慮するとして、「○○のシーンが削られてて残念」という指摘は割愛してあります。
- 第1話の時と同じく、ドラマ的に何の効果も無い、「動かせるから動かせましたよ」的なカーアクション。カーアクションで始まりカーアクションで終わる女子校アニメ! スタッフの趣味で入れただけならそう言ってくれ
- 演劇部員らしく良く動いて良く喋る瞳子だが、性格的なバックボーンが描かれていないので台詞が全体的に空々しい
- バックボーンの薄さは祐巳も蓉子も祥子もみんなそうなので今更なんだけど
- あと、この扱いなら柏木さんは要らないキャラだったんじゃ?
- 祥子の居る部屋。そこはもっと思いっきり照明落とす所だと思うんですが。祥子も健康そうな顔しすぎ
- 抱き合った直後に立ち上がらないでください(位置的にワープもしてる)
- フィクションの中で「空間」を意識させることがリアリティを保たせるんだということくらいは解って欲しい。映像作り上の「逃げ」だよな
- リアリティの無さに輪をかけて花バック。今まで花バックや花ノイズを禁止してきた演出は何だったんだ……。第11話の玄関殴打に並ぶギャグシーン
- タメの全く無い「大好きです」の後にチークタイム中の各カップルの図に。こういう繋ぎ方は百合ポルノの感性ですね
祥子・祐巳の関係と、お婆様方の関係を二重化させて描く辺り、象徴としてのパラソルを映像に活かす辺りは教科書的で悪くない肉付けだったと思いますが、他の箇所で笑いを取りすぎた最終回でありました。
原作再現度が低いとかそういう意味じゃなくて、少女アニメとして中途半端なことばかりやっているわけでして。
全話を総括すると「片手だけつないで」「チェリーブロッサム」「銀杏の中の桜」「ロザリオの滴」「黄薔薇注意報」の辺りは出来が良くてびっくりしたものです。
共通点としては、どれも「原作一冊分の1/3以下のボリューム」で1話が作られているんですね。「片手〜」は短編だし、「チェリー〜」と「銀杏〜」は前後編の前編を更に2話に分割したもの。「ロザリオ〜」と「黄薔薇〜」はそれぞれ三本の短編のうち一本ですから。
マリみての場合、丁度それくらいの分量がアニメ化に適していたということでしょう。逆に言うと一巻まるごとに最低でも3話以上必要だったということかもしれません。単純計算ですが。
しかし、なのに短編作品である「レイニーブルー」があんな風になってしまうのは何故なのか……と考えると、「演出・絵コンテが〜」という結論になるんですよねえ。
冗談じゃなく本気でこう思うんですが、このアニメ最大の功績って、「アニメは作画クォリティを維持しちゃダメなんだ」という思想をアニメファンに啓蒙するチャンスを与えてくれたことに尽きるんじゃないかと思ったりします。
風が吹けば桶屋が儲かる理論じゃないですが、作画を綺麗にすればするほどアニメはつまんなくなるもんだと思いますよ。結果だけ言えば。
だからアニメ視聴において「キャプチャー」っていうものを重視する人の価値観っていうのは、どうも信用できない所があります。これはずうっと前から言い続けてることなんですけどね。
*1:要するに、「どこがどう感動的なのか理解してなさそう」=「原作読んで感動したこと無いんじゃあ?」ってことなんだけど