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 移行後のはてなブログ:izumino’s note

プリキュア妄想・フェミニズム編

 任せられたので短くまとめてみました。
 まぁ、現存する数多のプリキュアンの中でもこんな記事を書こうとするのはぼくくらいなものだろう、という自負はあ……いや自慢なんてできませんが。


 さて、この作品は少女向けアニメということもあって、女性優位の視点やフェミニズム思想が少なからずコレクトされているように見えます。
 初期コンセプト自体が「なぜタイプの違う女の子同士が仲良くなれないのか」という、シェア・ハイト*1的とも言える提唱から始まっていることからすれば避けられない要素であるとも言えるでしょう。

  • ほのかからのライン

 フェミニズム的なコレクトが特に強く見出せるのが第5話で、それは主にほのかの恋愛観を通して描かれます。
 なぎさの恋愛観が主に「性的魅力」に注がれているのに対し、ほのかは「尊敬し合える相手」が理想と言い、女→男の関係よりもジェンダーレスな恋愛をイメージしていることを窺わせます。
 またナンパ行為に対しては「あなた達に(自分たちを連れていく)権利はあるのか」という強硬な態度を取っています。恋愛をするイニシアチヴは女性側にあるのだ、と言わんばかりに。*2
 なぎさに向けた「同性にモテるっていうことは、素敵な女性だっていうことよ」という誉め言葉も、男→女間で発生する「性的魅力」を特権視していないから出てくるものでしょう。
 ただ彼女のピーサードに対する、ややヒューマニストすぎる発言は(一昔前の)フェミニストに特徴的な論調であって、思想的未熟さも感じさせられます。
 その内容は「女性は男性に社会的リソースを奪われている」→「そんな社会は間違っており、是正されるべきである」→「男性は女性に社会的リソースを返さなければならない」という無茶な主張と大差がありません。相手も間違っているとか権利が無いでしょうとか言われてホイホイとリソースを渡してはくれないわけで、結局は社会に参入し、効率よく戦い抜くことが求められると。
 ほのかがプリキュアに変身し、かつ同性と協力して戦うという図式は「男性社会で働き、かつ女性同士で団結する」という政治的な図式をシミュレートしているとも言えなくもないですし、また、ほのか自身の(まだ未成熟な)思想を発展させるきっかけになっているのかもしれません。

  • なぎさからのライン

 第5話では、メップルとミップルの異性愛的な関係がなぎさとほのかの関係に「間違えられる」という演出が二度繰り返されます。一度目は「私も美墨さんに会いたいなって思っていたの」「え?」というシーンで、二度目は「愛の力って凄いね!」というシーン。
 いずれもメップルとミップルの関係がその正体なのですが、「間違われる」ということは、これらは交換可能なイメージでもあるということです。また、なぎさはその「愛の力」を信じようとし、自力でその関係領域に近付く努力をしています。「恋人のいないなぎさにはわからない」と言われていながらも。
 メップル・ミップルをなぎさ・ほのかにそのまま重ね、同性愛の示唆を読み取るのは早計だと言わざるをえません。*3仮に人間同士が「愛の力」なるものを生み出せるとして、それが男女間/恋人間だけの「特権」ではなく同性間/友人間でも利用可能であるのだ、というシェア・ハイト的なメッセージを発見することが肝心でしょう。

  • 母性的要素

 別のラインで繰り返し描かれているのは「母性の肯定」という要素です。もっともこれは、この時間帯の番組に根付いている「教条的」テーマであって、本筋との関連は薄いのかもしれませんが……。*4
 例えば第6話において。なぎさを心配する母親の姿は「ありうべき大人」の姿として描かれています。「大人一般」があまり賢そうに描かれていない*5本作で、このお母さんが見せる母性は余計際立って見えます。
 この回では更に、その山登りの最中に「母親熊」が登場し、ザケンナーに乗っ取られる*6ことで子殺しを犯しかけますが、プリキュアのレインボー・セラピーによって元の母性を取り戻します。


 そもそもカードコミューンというアイテムは「女の子の母性本能を刺激する玩具」として番組内に登場するわけですが、ここで思い掛けず母性本能を発揮しているのは、ほのかよりもなぎさの方です。*7
 ほのかがカードコミューンでお世話をするシーンはまだ描かれていません。ワガママなメップルに比べてミップルは「聞き分けのいい娘」なのかもしれませんが、ほのかがオネムのカードに関して「学校に居る間は眠らせておきましょうね」とあっさり言い放つ辺り、結構淡泊な「子育て」をイメージしなくもありません。


 ほのかが(なぎさに対しても)思索的で見守るような母性であるのとは好対照に、なぎさは行動的で保護意識の強い母性として描き分けられているのは興味深いところでしょう。
 ほのかは自分の思考に対して敏感で、なぎさは自分の感情に対して鈍感です。このふたりは「私はどう思うか」と「相手がどう思うか」の優先順位がまったく逆で、このようなキャラクター表現のコンストラストは実に素晴らしいと思います。

*1:ジェンダー研究家/女性解放運動家。参考→id:izumino:20031003

*2:この、「女性側のイニシアチヴ」というテーマは第6話でも繰り返し表現されていて、ミップルが「彼のこと、考え直そうかしら」とイニシアチヴをチラつかせている。それ以前にメップルの「亭主関白宣言」はあっさりと挫折させられているし。このメップルの(不用意な)男尊女卑思想は、なぎさの弟の生意気さに重ねることもできるだろう。なぎさに対して威張っている彼も、結局は家庭内の女性陣に頭の上がらない男の子なのである

*3:同人的妄想は勿論別

*4:どれみやナージャでも、母親であることは正しさと直結していることが多い

*5:特に学校関係者。ラクロス部のOGの人は「大きな会社を辞めて」という辺り、立派な人ではあるが「大人一般」に対する否定を描いているようにも思える

*6:母親熊の声が、ザケンナーの「男声」に変化していることにも注意

*7:第2話においてなぎさは「あなたの奥さん」という比喩を使っているが、第5話では「あなたのお母さん」という認識に変化している。ところで「お世話を担当するのは女性である」という認識に限って言えば、実はメップルの意見と共通していたりもする