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 移行後のはてなブログ:izumino’s note

アニメ化に求められること

 上述したように「演出」が抑制され続けた回ですから、「自分ならこう演出するのに」とツッコミを入れながら観る人が多いみたいです。
 その中でもなるほど、と思ったのが次の夏一葉(id:natsu-k)さんの視点(多分、ご本人の思惑とは異なった「なるほど」ですが)。


 もっと圧倒的に「ごきげんよう」「ごきげんよう」「ごきげんよう」「ごきげんよう」の波と、制服の群れとかをブワァーッとむしろ少し不気味に、映す冒頭のシーンがあっても、良かったのでは。
 マリみてが大好きで仕方のない、コアな*1読者であるほど、アニメ版に「ドラマ」や「キャラクター」をすら求めなくなるのではなかろうか、という気がしてきました。
 感動的なストーリーは「頭の中で何度も繰り返している」でしょうからその中身にアニメ版は敵わないでしょうし、キャラの魅力の表現も「二次創作」と「アニメ版」との間に優劣は無いでしょう。


 じゃあ、アニメなら何が描けるのか。
 それは、リリアンの生徒が実際に登校する時に流れる映像であり、音声ではないか。「こんな学園に通ってみたい、通いなおしたい」「どんな校舎なんだろう、どんな生活なんだろう」という空想を遊ばせるにたる、「学園そのもの」の情景ではないか。
 目や耳だけでなく、下履箱に手を伸ばしたり窓を開けたり椅子をひいて座ったり友達に順番に挨拶をしたりといった、身体性に訴えかける行動の存在感ではないだろうか、と。


 ……もしこういった役割をアニメに持たせるなら、「ガヤ」をもっと効果的に入れて欲しいのだな。
 それこそ、通常の会話シーンでもバックから「ごきげんよう」がノイズで聞こえてくるくらいに。

*1:末期的な、と言ってもいいか