舞城の自作自演「現代小説・演習」。
愛媛川十三パートは、色々悪評もある舞城自身のスタイルに対する「言い訳」にも読める。のだけど、ぼくは作家に合わせるタイプの読者なので「ああ、そういう風に読めばいいのね」って感じで楽しく舞城王太郎パートを読ませていただきました。というか殆どパラパラ読み。スジとオチさえ解れば楽しめる、っていう構成は確かに音楽的だし(歌詞が聴き取れなくてもサビに含まれたエモーションさえ解れば洋楽を楽しめるのと同じ。リサイクル可能っていう点もそう)それ自体は悪いことじゃないはず。
ただ、こういうスタイルを嫌う(飽きる)人は多いだろう、っていう相対的な現象がおこるだけかな。