今日の捕捉と、映画『300』のペルシア視点について
はじまりはイスカンダル~いずみのさんとモスバーガーでの熱い会話 | 旧館:物語三昧~できればより深く物語を楽しむために
ぼくはブログでは大したことを書いてないんですが(会った人と喋ることで殆ど満足してしまう為)、アレクサンドロス研究の成果はいつかまとめてみたいと思ってます。
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おわ。。。 - Nobody tells the story
大前提としての「少年漫画の主人公には責任が無い」という部分にちょっと「?」が付く所なので、id:skerenmiさんには小山ゆうの『スプリンター』あたりを読まれることをお勧めします。まぁアレは「青年漫画に半歩踏み込んだ少年漫画」という括りもされそうですけど。
でも『ONE PIECE』の麦わら海賊団と、『魔法先生ネギま!』のネギパーティを対比することでもクリアに見えてくる問題の筈です、これは。
あと当然アレクサンドロスとの対比も欠かせないわけですが(結局そっちにいくか)。
映画『300』を観た:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ
もっと率直にいうと、ブッシュの妄想を見せられた感じがする。まぁ個人的な印象だけど、僕にとってはデキがどうこういう以前に凄くイヤな映画だった。
古代ギリシアといえば、夏目房之介さんが『300』を観てイヤな映画だったとこぼしておられましたけど、
……こういう↑ペルシア視点での読み方もあることを知ってもらえたらなぁと思ったりします。
ついでにちょっと、ぼくが『300』を観た直後にmixiに書いた感想も引用してみましょう(↑のペトロニウスさんの感想記事も、ぼくの日記に対するコメントを元に書かれたものだったりします)。
基本的には楽しんで観た映画なので、批評というよりも面白がって書いた感想ですけどね。
友達4人と連れ添って『300』観てきました。
クセルクセス王かっこいーーーーーー! 美形、美声、スタイル良すぎ、そしてとても寛大でございます。
惜しむらくは用兵の才能が全く無い所か……、史実ではどうかしらんけど。
一方、スパルタ兵は好戦的すぎですね。なんだあの蛮人どもは(笑)。
しかし、政治批評的には「ギリシア=西洋民主主義国家」「ペルシア=中東専制支配国家」という見立てをされる映画なんでしょうけど、「東から攻めてくる大軍に抵抗する兵士」という絵面は、むしろ「ペルシア=アメリカ」「ギリシア=イスラム諸国」というイメージが浮かびました。
とりあえず、権謀術数と外交政治を駆使して無血開城を狙おうとする超平和主義者なペルシア王に対して、民主主義を守るというイデオロギーを固持して戦争に持ち込もうとするスパルタ王が野蛮すぎ。
ペ「滅ぼされたくなかったら土地をよこしなさい。土地だけでいいので」
ス「ギリシア人は自由人なので屈服しません。戦争します」
ペ「こっちには100万もいるんだから降伏しなさい。悪いようにはしないから」
ス「100万って言っても奴隷ばっかなんでしょ? こっちは職業戦士が300人。戦ってみないとわからないので降伏しません」
ぺ「(なんとか追いつめて)お前をギリシアの大将軍にしてあげるのでひざまづきなさい」
ス「スパルタ兵に退却という言葉はありません」
ペ「仕方ないので皆殺しにします」
ス「死ぬまで戦います」
ペ「……」
ギリシア人には「人間が人間にひざまづく」という発想が全然無い(神にひざまづくという習慣すら無いので、まして人間相手だと「畜生以下の屈辱」を感じるらしい)、ペルシア王がペルシア的な感覚で「ひざまづけ」と言っても心情的に受け入れられる筈が無い、っていうのと、そもそもペルシア人にとっての戦争というのは、おそらく「とりあえず数を寄せ集めてプレッシャーをかけ、降伏を迫る」という高度に知能ゲーム的なものである筈(史実はともかく映画ではそんな感じの用兵に思える)が、逆に西洋人にとっての戦争とは「代表の戦士を出し合って勝負を決める」感覚っぽく、兵が出れば勝敗が決まるまでぶつかりあおうとするもんだから、ペルシア側の戦略的威圧が全く成立しないというむごい有様。まさに文化のカベ(笑)。
「威圧のための軍隊」が「代表戦のための軍隊」と戦えばそりゃ序盤は苦戦させられるのは当たり前で、根底から異なるルールで戦ってるんだから、そりゃペルシア側も戸惑うでしょう。マラソンレースを挑もうとしたら、いきなりスタートダッシュされて「俺達の方が足早いもんね!」と勝ち誇られてるような感じ(笑)。
とにかく何をどう説得しようとしても「民主主義は曲げられない」というイデオロギーを守るためだけに徹底抗戦するギリシアは、むしろイスラム原理主義者のレジスタンスを連想させます。
ペルシア王って、専制君主とはいえ一応グローバリズムを目指した側でもあるわけで、現代に置き換えるなら間違いなくアメリカ大統領に相当する立場でしょう。イスラム諸国に向かって「資本化してくれれば悪くはしないぞ」と持ちかけたら、「イスラムは資本主義に屈服しない」と言い返されて武力行使に、みたいな構図に置き換えることは簡単にできるし、そういう意味では「アメリカ的な民主主義を礼賛した映画」という愚かしい読解は全くできなくなります。
二元論的どころか、かなり善悪が相対化された映画だという印象が強く残るわけです。ペトロニウスさんのコメント(内容は物語三昧の感想記事とほぼ同じ)へのレス
そうそう、ひざまづきさえすれば、後は公平に人間扱いしてくれる(「神の前では平等」だから民族差別を超越できる)王様なのに、ギリシア人側から見れば「ひざまづかされたら人間として終わりだ!」というプライドがある以上、どう穏和に交渉しようとしても平行線なんですよね。
アレクサンドロスの寛容政策や民族融和思想も、ペルシア的な支配をより理想的に昇華させただけのものかもしれません(そう考えると、教師のアリストテレスがペルシアで何を学んで、何をアレクサンドロスに教えたのか? というのも想像が膨らみますよね)。
あと、後のキリスト教は「神の前では平等」というペルシア的な概念を輸入? してますから……。
ペルシア王と、今のアメリカのグローバリズムが被って見えるのは、そこも理由かもしれませんね。
しかしクセルクセスはメチャクチャ格好いいけど、ブッシュは応援する気になれないなー(笑)。
肝心の萌えポイントである「寛大さ」が感じられないからかな?
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