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コミカライズとしての『魔法科高校の優等生』(7話感想)

 昨日は、『コミック電撃大王』の今月号の発売日でした。


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 「森夕」版の魔法科高校魔法科高校の優等生が7話目にしてモノクロ巻頭に。
 未読という人は公式サイトの第1話試し読みをどうぞ。

コミカライズと原作の読み比べ

 原作や「きたうみつな」版のコミカライズで描写されているシチュエーションをうまく端折りながら、新規のシチュエーションを加えていくスタイルが続いてますね。


 原作小説はかなりとっつきづらい部分が大きいので、思い切って端折っていくのはたぶん正解です。
 この省略の勢いで、早く九校戦編か夏休み編に入っていくと良いなと思います(夏休み編から追憶編に入るならもっといいと思う)。


 それにしても、原作やきたうみ版では達也を中心としたシチュエーションを描写しているのに対し、森夕版では深雪を中心にしたシチュエーションを描いているわけですが……、それぞれのシチュエーションで「何を描いて、何を描かないか」の違いもくっきり分かれるようになってきました。


 きたうみ版では、原作の記述・原作の挿絵をそのまま……というよりも「誇張」して漫画に落とし込もうとするスタイルです。
 一方で、そもそも視点の異なる森夕版では「原作の記述にない描き方」も積極的に試すアプローチをしています。
 結果的には、森夕版の方がアレンジが大胆になっているとも言えるでしょう。

メディアミックスにおける「良い」アレンジとは何か

 で、原作の記述にはないことや、反することも描写されるのですが、これが(Web版からの)読者からするとけっこう納得のいくシチュエーションを作ってたりするんですね。


 森夕版がアレンジを加える際の方針は、おおまかに言えば「登場時からキャラクターに好感を抱きやすい心理描写を行う」というスタンスになっているなと感じます。


 原作のキャラクター描写は男性的というか……、キャラクターを突き放して描く傾向があって、しかも基本となる文体が「主人公の一人称に近い三人称単元」で記述されることも原因していますが、一面的な冷たい評価をキャラクターに下しがちです。
 だから、後の方でエピソードが加わったり、主人公でないキャラクターからの視点が得られたりするまでは愛着も抱きにくく、評価を低くせざるをえない記述だったりするんですね。
(きたうみ版は、こうしたスタイルまで誇張して、踏襲するコミカライズになっています。)


 男性的……、というのは漠然としたイメージなんですが、自分のキャラクターを「信頼」した作者だと、あるていど突き放してもコイツは大丈夫だろう、という判断が働きやすいイメージがあります。
 一般論は脇に置いて、佐島勤という作家個人にかぎった話をするなら……。Web時代の作者コメントで、脇役や敵役について「作中ではああいう扱いでしたが、やればできるやつなんです」「どんなに優秀でも過失はするものです」といったフォロー(慰め?)を良くしていた覚えがあります。作品の外では、決して冷たい評価で登場させていないことは伝わるわけです。


 でもそれは逆に言えば、「作者がわかっていれば、作中のフォローは後回しでもいいだろう」という判断で書いたという意味にもなるでしょう。
 実際、エピソードが重なればキャラクターの多面的な性格が理解できて、愛着や憎めなさが湧いたり、偏った見方ではなく実力通りの評価もしたりできるように書かれています。だから再評価は後回しでも、構わないっちゃ構わないわけです。
(とはいえ、それが「情報の出し方」として正解なのか? というと微妙でもあると思いますが。)


 そこで森夕版のアレンジは、「その後のエピソードを含めてキャラクターに愛着が湧いた」読者、の視点から逆算したイメージで描き直そうとしている……という感じがします。
 特に7話における服部先輩の描き方がそうです。原作ではまったく触れられていないけども、通して読んだ読者なら思うであろう「実力通りの評価」をその場で与えている。


 また、このアレンジは結果的に、原作の記述が「信頼できない語り手」かもしれないという問題を暴いていて興味深いですね。
 例えば、今回の服部と深雪の会話シーンだと、達也は二人に背中を向けていたり、深雪の後姿しか見れない位置に立っていたことになってます。原作の記述ではそうです。
 三人称単元がデフォルトの文体では、そのアングルからうかがえる範囲のことしか書こうとしません。


 だから、原作の記述で達也が察した(ことになっている)「ムッとした深雪」という情報も、実際は「当事者にとってどんな脈絡で生じた感情なのか」が正確に掴めない情報になるわけです。
 本当は「ムッとした」とあったとしても、達也が心配するような憤り方ではなかったかもしれない……というように疑うことができますから。


 で、これも、「達也は深雪の気遣いや心配りを一面的にしか理解できていない」という、彼の「人間理解に乏しい側面」が、原作のエピソードが進むほどに少しずつ見えてくることに繋がるでしょう。


 だからメディアミックスにおいては、「達也が感じた範囲のことしか分からない原作の記述そのまま」で描くと、かえってつまらないんじゃないか、という考え方もしていいわけです。


 シチュエーション次第ですが、「結果的なイメージを優先して」「記述に反する」描写をすることもあれば(ほのかが魔法を使った理由の表現はこちらでしょう)、いま述べたように「語り手の疑わしさのスキマを衝いて」「記述の裏をかく」描写をすることもあるでしょう。
 小説からのメディアミックスというアプローチを考えると、こうしたアレンジの仕方は、まだまだ突き詰められそうな予感がします。


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 あぁ、ところで電撃コミックスと言えば、昨日は漫画版『紫色のクオリア』2巻の発売日でもありました。
 こちらは『魔法科高校の優等生』とは別の意味で、かなり再現度の高いコミカライズになっているので驚きです。
 小説のコミカライズという面を抜きにしても「読める」漫画になっていると思います。


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