『ネウロ』で描かれる人間の進化、『暗殺教室』で描かれる生徒の成長
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これアリなんだ……と驚いた『暗殺教室』1巻のカバーデザインですが、松井優征の新作がとうとう単行本化されますね。
前作『魔人探偵脳噛ネウロ』も、「カバーイラストが上下逆」という人を喰ったデザインをしていたものですが、『暗殺教室』は今後こういう路線で行くのでしょうか。
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以前、コマ割り表現を確認しようと思って『ネウロ』の単行本を読み直したことがあって、改めてその面白さにテンションがあがった覚えがあります。
松井優征の前作と今作を繋ぐようなテーマとして、1巻の発売前にそのとき感じたことの話をしましょう。
正義や善悪を語らない少年漫画
例えば『HUNTERXHUNTER』を読んで感じられる、「遊び」の感覚によって善悪を吹き飛ばす価値観でも元気が出たものですが、ネウロを読んだあとの、犯罪者を「元気があってよろしい」と肯定するノリにも元気を与えられるものです。
極端な話として、ジャンプ漫画は正義などといったものが特に描かれない方が、素直に面白いと感じるほど。
ただし、「人情」や「人間の心」は描かれていてほしい。
探偵事務所を舞台にしていた『ネウロ』から一転して、『暗殺教室』では「落ちこぼれの生徒に暗殺を教える教室」が舞台となります(と、いうのもざっくばらんな説明ですが、とりあえずそんなものだと思ってください)。
『ネウロ』は「強烈な犯罪動機が人間を進化させるのだ」というモチベーション肯定を描いていましたけど、『暗殺教室』は「無気力な生徒に殺害動機を与えてあげなきゃいけない」のが違いのように見えます。
でもどちらのドラマも、人外の視点から、人間(生徒)に向かって、「もっと賢くなれ」と促している点は共通しているでしょう。
『ネウロ』の完結後、今まで読み切りで「強いおっさん+少女」という組み合わせを何度か試していた松井優征が、結局のところ「父性を備えた異形+人間」という『ネウロ』と同じモチーフに回帰しているのが、作家のカルマを感じさせて興味深かったです
松井優征『暗殺教室』1話感想 - ピアノ・ファイア
『暗殺教室』に明確な「宿敵」は存在せず、「生徒が教師を殺さないといけない」というルールだけが葛藤の要素として存在します。
もちろん、この教師(カバーイラストになってる怪人)を本当に殺してしまうと話が終わってしまうので、「殺せないくらい強い相手を殺す方法を学んでいく」という矛盾した物語になるのですが。
しかし、その矛盾した教育によって、無気力な生徒たちも元気になって自立に導かれていく。
一方、『ネウロ』には「悪意が謎を作り、人間の知恵を進化させるので悪意自体は悪いものではない」というコンセプトがあります。
このコンセプトって、当時は、ただ額面通りに受け取っていたものです。
人類の歴史に照らしあわせて、「まぁそうだろうな」と単純に納得できるロジックですからね。
しかし再読してみて、「反社会的な悪意であるほど、悪事を隠して自分の日常を守りたい」という必要が生まれ、必然的に「謎」を考案しなければならない仕組みがあると気付き……、もう一段階「なるほど」と得心したものです。
不適合さが工夫を生む
悪意がダイレクトに謎を作るのではなくて、「犯罪しても捕まりたくない、殺人犯だけど一般人のフリをしたい」という、社会性への反動が謎を作るということです。
「害意」よりも「保身の本能」が謎を作るのだと思えば……、「自分を守る気がなくて堂々とした犯人」が放つ悪意にネウロは興味を示さなくなる、という描写も理に適っています。
現実でも、極悪人ほど優秀である、と言うでしょう。
しかし「悪いことに抵抗がないから」能力が高いというより、「悪意が漏れて社会的に不利にならないように頭を働かせる」能力が高いことを指して言われているのかもしれません。
『ジョジョの奇妙な冒険』の吉良吉影が、平穏を望むと同時に、異様に努力家であることでも説明できそうな話です。
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吉良吉影は犯罪衝動を抑制できなかった人間でしたが、「悪事を隠す工夫」でなくても、「悪事をしない工夫」だけでも努力による克服を必要とするはずでしょう。どちらも「悪意を隠さなければいけない」という意味では等価です。
『ネウロ』では「悪意を隠すために工夫する人間」と、「悪意に立ち向かうために工夫する人間」が好対照に描かれていました。
だから、人間を描いた「人情もの(ヒューマンドラマ)」としても、犯罪を描いた「探偵もの」としても面白かったのだと思います。
悪意も善意も、共に「生きにくさ」を生む点では共通しています。
前面的には描かれないのですが、一種の「ハンディキャップもの」としてネウロを読むことも可能かもしれません。
ハンディキャップは、努力を生みますから。
しかし一般論のジンクスからすると……「善人がバカを見る」率が高いと言われるのは、善人は自分のハンデを自覚して努力をしにくいからかもしれませんね。
悪人は自分の異常性(欠陥)に気付きやすいから努力に走りやすい。
善人は自分が普通だと思ってるから努力しにくい。
余談ですが、そういう風に分けると、なぜここ最近のフィクション(ヒーローもの)は「偏執的な努力のできる善人は異常だと思う」という前提で描こうとするのか……? という問題にも別の説明がつきそうですね。
ぼくの個人的な嗜好として、「生きにくさ」が描かれている作品が好きだという気もします。
そのコンセプトで分けるなら、『ネウロ』は「人間の突出した性質による生きにくさ」を克服する話で、『暗殺教室』は「人間の能力の不足による生きにくさ」を克服する話として見れるでしょうか?
繰り返しになりますが、どちらも人間の進化や成長を促そうとする話であって、底辺に流れているのは「人間性」だと思います。
異形を通して、「人情」を描く作家。
まだ始まったばかりでストーリーが見えない段階なのですが、とても松井優征らしいと感じる作品がこの『暗殺教室』です。
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