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フラジャイルな、半人前のアイドル達 『AKB0048』第7話の感想

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 最新話は面白かったですね。

自分じゃない誰かになる倒錯感とフラジャイルさ

 『AKB0048』が「AKBらしい話か」というのは置いといて、「(自分ではない)憧れの誰かになりたい」というコスプレ的な願望を現実に演じてしまう倒錯感は、少女の話ならではという気もしてきます。


 なんだか思春期の女子同士が、仲間内でBLごっこに興じるのと同レベルのフラジャイルさ(儚さ、脆さ)を感じるような。
 0048のトップメンバーが「たかみな大好き」なのは、「オリジナルのトップメンバー達もたかみな大好きだったから」そのイメージになりきっているだけなのか、「5代目たかみなその子自身が好かれているのか」が曖昧なまま描かれているんですね。


 「憧れ」といえば、「先輩には普通にできることが何故自分にはできないんだろう(そんなに年も離れてないのに)」という世代間のコンプレックスはマリみてや星矢でもお馴染みのテーマですが、0048はその「先輩(襲名メンバー)」達もまた、現在進行形で「更に上の先輩(オリジナルメンバー)に憧れる少女」でしかなく、フラジャイルさを残したままだというのが新しい感じ。


 星矢のような世代モノでも、「確かにこの先輩もかつてはただの未熟な見習いだったのだ」という過去をチラつかせるのですが、0048の襲名メンバーの場合、いかに先輩が貫禄と余裕を見せつけようが「オリジナルに憧れて同化しようとする女の子」の域を出ないのが酷な話。
 アキレスと亀のように、襲名メンバーはオリジナルメンバーの後塵を拝するしかなく、つまり0048を卒業して、ツバサのように本名を名乗るまで人格としての成熟が行われない……。


 ヒロインたちが垣間見せる、そういう生っぽい「脆さ」が、ブレスの使い方とかが拙い素人声優の声ともマッチしてきて、「岡田麿里の女子感性丸出し脚本をアイドルが演じることの意味」みたいなものが生まれてきたんじゃないか、というライブ感もあって楽しい。

AKBのアニメとしては

 で、あえて現実のAKBの在り方にこじつけて言えば、AKBのコンセプトって「未完成」であり「まだ何者にもなれない半人前」であって、たとえ総選挙2位のまゆゆだろうと「どの道に進むべきか」が別に見えてこない、「スペシャリストではない者達」だという意味で、「自分じゃない存在に憧れつづける役」を演じるのは合っている気はします。


 ただし「自分らしく、飾らずに、ムリに背伸びをするよりは、ありのままを出した方がいい」がモットーの(←秋元康の意向がこれなので)AKBグループと、襲名制の0048はやはり違うシステムなんですよね。
 設定としては「魂が近付く」という表現によって、「ムリに他人になりきってるわけではない」という言い訳が可能だとしても、やはり「自分じゃない存在になる」要素は入るわけで。


 個人的には、オリジナルのAKB運営と0048運営の間に組織的な断絶があればあるほど面白いなと思ったり。
 学芸会のように、単なるファンの集団が頑張って「AKBの復元」をしている非公式活動である、ってくらいチープな方が、むしろアイドルっぽい気がしますから。


 細かく言えば、AKBのメンバーというのは「過去のアイドルに憧れる子」と「AKBは他の目標のための手段として選択した子」と「AKBに憧れて入った子」の三種に分かれているでしょう。
 その一番目のタイプにかぎって言えば、ハロプロ系アイドルなどの「理想」がまずあって、その理想像を目指している、という姿勢が見受けられますし、それは0048の襲名制と多少通じるところがあるかな……? と。


 それにしても、この感想エントリの中にも、「少女アニメとして」「岡田麿里シナリオとして」「AKBのメディアミックスとして」……と面白がれるアングル(前知識によって変わる楽しみ方)が複数表れてますし、多面的な見方のできるアニメなのは確かだろうと改めて思いますね。
 まぁ今回のような感想は、ちょっとハイブロウというか、ツウ好みな見方なんでしょうけどね。

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