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ソーシャル時代の共有体験(Shareness)を考える・目次

 去年の六月のことになるのですが。
 埼玉の獨協大学より依頼を受けまして、学生さん相手に授業をしたときの話からはじめたいと思います。


 「ポピュラー文化と社会」というオムニバス講座の中で、漫画を扱う枠もあっての依頼でした。
 いろんなツテをたどって自分に声がかかったそうで、関係者の先生方にはまず感謝申し上げます。

「ポピュラー文化と社会」と漫画

 2コマぶんの授業を担当していたのですが、一回目は拙著『漫画をめくる冒険』や『ユリイカ』誌上の内容に則した、漫画の読み方/読まれ方のメカニズムを簡単に解説して──「入門編」的な内容としては、去年の冬コミに出た『マンガルカ』の原稿と同じくらいの範囲ですね。


 二回目は、そんな「漫画」というメディアがある一方で、他のメディアはどう消費されるものなのか? という文化比較からのメディア論がメインになりました。


 漫画論からメディア論に展開させたことには意図もあります。
 この講座自体は「マンガ学科」などではなく、大学の全学部生(文系が中心)を対象に開かれたものでしたから、メディア全般に問題を広げた方が理解してもらいやすいだろう、と。
 当然ですが、「ポピュラー文化と社会」というテーマを意識してのこともあります。


 で、授業内容のおおまかな筋立てを先に言えば、漫画というメディアは「一人で消費する」「個有のメディア」である側面が強い。
 そのため、漫画と他のメディアを比較した場合、「みんなで消費する」「共有のメディア」という違いを多く発見できる……という内容でした。


 「共有消費」「共有体験」がキーワードとして登場しますが、ひっくるめて「Shareness」という単語を用いてもいました。
 このエントリのタイトルにも「Shareness」は入っていますね。
 ソーシャルネットワークの時代になって、ひとつの作品や出来事を「共有」する体験が、インターネットの趨勢として主流になりつつあります。
 漫画論から入りつつ、最終的にはTwitterニコニコ動画、匿名掲示板などが生みだす現象について、考えるためのヒントを得ようとする話です。


 件の講義では、(特にレジュメも配布せず)板書と口頭だけで講じていました。ですから、このブログで改めて整理しておきたいな、と前から思っていた問題です。
 もう半年以上前の話になりますが、講義後の着想を含めて、ここに書き残しておきましょう。
 本格的に論じようとすると、かなり広範囲に渡るテーマな上に、まだテキストとしても不十分な内容ですし、意見もぜひ聞かせてください。

  1. ソーシャル時代の共有体験(Shareness)を考える・前編
  2. ソーシャル時代の共有体験(Shareness)を考える・後編