HOME : リクィド・ファイア
 移行後のはてなブログ:izumino’s note

パリストンとチードル(たち)の非対称的な類似を考えてみる

 以前も「徹底評論!『HUNTER×HUNTER』」のまとめ記事の中でご紹介していた、「靴の先は二次元の入り口」さんによる新しい『HUNTERXHUNTER』記事。


 連載中のエピソードにおける、「前会長の遺志を継いでいるのはパリストンだけだ」というジンのセリフから拡げたエントリになっています。
 そこで、ぼくも考えたことを少しだけ。

 しかし、パリストンとネテロのは「遊びを創作する」という点においては一致します。厳密にいうならば「みずからで遊びを創作しないと楽しめない」。〔中略〕ネテロは具体的な例は思い付きませんが、しいてあげるなら娯楽性の高いハンター試験はネテロが深く携わっていました。

ハンターハンター パリストンとネテロについての考察 - 靴の先は二次元の入り口


 ネテロの作る遊びは、ハンター試験の途中でゴンキルに仕掛けたハンデ戦に表れてますね。今思い返せば、「本気でハラをガードすればゴンの頭が壊れてしまう(でも力を抜けば痛い)」という、なんとも窮屈な「手加減」が必要だったあたりに、ネテロの娯楽の不自由さが窺えるエピソードでした。
 それに十二支んの「キャラ付け」も、ネテロが遊びの創作に付きあわせてる恰好なんでしょう。

目的としてのゲームと手段としてのマニュアル

 ところでチードルは、目的としては「会長の遊びを引き継ぎたい」──この場合の遊びというのはハンターの本分である「文化事業」(非営利的な文化のための仕事)を含みます──はずが、手段が合理思考のマニュアリストです。
 パリストンも目的は「遊びたい」ですが、その手段は「周囲の人間を合理的な行動に追い込むこと」であるようすが見受けられます。


 なので、パリストンとチードル(たち)は完全な真逆なのではなく、「目的=遊び」「手段=合理」という行動原理では類似している組み合わせだなあと思ったり。ただ、「手段」の向いている方向だけが非対称に見えるというだけであって。


 あと。「面白いゲームには合理思考の人間もコマとして必要である」っていうのはゲーム理論の真理をついてますよね。
 昔、妖魔夜行という小説シリーズの中で「ラプラスの悪魔」をモデルにした妖怪が出てくるのですが、ラプラスの悪魔が「ゲームの必勝法」を編み出すためには、合理的に勝利を目指すプレイヤーに囲まれていることが必須条件で、「勝つ気のないプレイヤー」が一人いるだけで必勝法は崩壊するのだ……というストーリーが描かれていたことを思い出しました。


 ここで「勝つ気のないプレイヤー」というのはまさに今回のパリストンであり、彼から見て「わかりやすいなあ行動が」と見透かされていた他の候補者たちこそ、「合理的に勝利を目指すプレイヤー」であったのでしょう。

ゲームの異分子であるジャイロとゴン

 そこまで考えれば否応なしに考えさせられるのは、主人公であるゴンと、そのゴンの宿敵であるかのように描かれるジャイロのことです。
 おそらく、二人はどちらも「ゲームを外からぶち壊す存在」としてそのキャラクター性が共通しています。


 ゴンの目的は「遊び」だとしても、その手段は超越論的な合理性であり、非合理とも呼べるもの。ある意味「ゲームを終わらせるプレイヤー」にもなりうる素材。
 一方、ジャイロは目的が「遊び」から逸脱した悪意であると同時に、その手段は「合理」そのものなのだろうと想像できます。ゲームそのものに付き合わない、という類のです。


 以上をまとめると、

  • 目的:遊び 手段:自分が合理的
  • 目的:遊び 手段:自分以外が合理的
  • 目的:遊び 手段:非合理的
  • 目的:悪意 手段:合理的

……こういうプレイヤーが『HUNTERXHUNTER』の世界に揃う可能性があるわけで。
 ゲームという主題(?)を描くための、コマが勢揃いするのが総選挙編(これからパリストンの陰謀編だったり、ジャイロ編だったりに変わるかもしれませんが)というステージなのだろうか、と。
 どうでしょう。


HUNTER×HUNTER 29 (ジャンプコミックス)HUNTER×HUNTER 29 (ジャンプコミックス)
冨樫 義博

集英社 2011-08-04
売り上げランキング :

Amazonで詳しく見る
by G-Tools