『リトル・ピープルの時代』と『ゴーストの条件』を読み比べる
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8月を挟んで、ごく近い時期に出た二冊の評論書があります。
前者『リトル・ピープルの時代』(著者は宇野常寛)は社会反映論、後者『ゴーストの条件』(著者は村上裕一)はサブカル評論に寄って書かれた本と言えるでしょうか。
しかし、どちらも「キャラクター論」に大きく紙幅を割いているという共通点があります。そしてそれは、『ゴーストの条件』においてより顕著です。
そんな二冊ですが、奇しくも両者の中に、字面の点では共通する術語、しかしその意味するところでは異なる術語が登場していることに気付かされます。
「もうひとつの現実」という言葉がそうです。
これは見逃せない「類似」であり「差異」だと思われたので、今回はこのテクニカルタームについて検討を重ねておきたいと思います。
ゴーストの条件、第二部に突入中。宇野さんが「拡張現実」で異世界の後退を指摘してる中で、村上さんが「もうひとつの現実」の充実を説いているのは批評の状況としては面白いかもしれませんね
— 泉信行 (@izumino) 2011年9月9日
「もうひとつの現実」という術語のズレ
両者の間には、文章の見かけから言えば「主張的に対立」していると言ってもよいくらい、意義的なズレがあります。
しかし結論としては『ゴーストの条件』の方が異なるロジックを経由しているというだけで、術語レベルのズレはあれど、結論としてなら両者は昇華可能な内容だとも感じました。
では、まずは『リトル・ピープルの時代』に登場する「もうひとつの現実」の記述から見ていきます。
『リトル・ピープルの時代』と「もうひとつの現実」
p386-387
「大きな物語」の凋落で発生した欠落をファンタジィ性の高い物語が埋め合わせた80年代においては、漫画・アニメが描く(広義)のファンタジィには、個人の生を意味付け得る大きな物語が成立可能な世界=〈ここではない、どこか〉=もうひとつの現実を描くことが消費者たちに欲望される傾向が強かった。『機動戦記ガンダム』『グイン・サーガ』『銀河英雄伝説』『風の谷のナウシカ』など架空年代記を用いたファンタジィや、『幻魔大戦』などのオカルト・ブームを背景にした諸作品がこれにあたるだろう。
(中略)
これらの虚構の快楽は、「もうひとつの〈現実〉」として機能することによって発生する種類の快楽だ。だからこそそのもうひとつの現実に生きるキャラクターたちは「人間」の身体を有していなければならない。セックスして、子を産み、育て、そして死んでいかなければもうひとつの「歴史」年表を紡いでいけないのだから。
(中略)
そしてゼロ年代に入り、グローバル/ネットワーク化が進行していくにつれて虚構の機能は外部=〈ここではない、どこか〉に消費者を連れて行くものから内部=〈いま、ここ〉を多重化するものへと変化していく。それは同時に「もうひとつの現実」を生きる「人間としてのキャラクター」たちがその役目を終えたことを意味する。
以上を引用したのは、『リトル・ピープルの時代』第三章「拡張現実の時代」から。
そこでの「もうひとつの現実」というのは、非・現実の異世界であったり、架空の歴史を描いた現実のパラレルワールドを指すことになります。
また、柄谷行人の文学論を援用して、この異世界(とそこに住まうキャラクター)は、私達の現実を透かして映すことのない「不透明」な存在である、という説明もなされます。
この「ここではないどこかの、もうひとつの現実=不透明=仮想現実」の物語がじょじょに失効し、「いまここの、ハッキングされた現実=半透明=拡張現実」の物語こそが求められるように時代は推移している、というのが第三章における全体的な主張です。
(※不透明が仮想現実、半透明が拡張現実というのは、「透明」なのが現実を描いた自然主義文学であるというロジックに対応しています。)
次に、『ゴーストの条件』に登場する「もうひとつの現実」の記述。
こちらでは『リトル・ピープルの時代』と正反対に、「現代に特徴的なフィクション」の在り方を説明するために「もう一つの現実」という概念が用いられます。
『ゴーストの条件』と「もう一つの現実」
p166-167
いったんまとめよう。インターネットの発展によってクラウド化した結果、非現実を描く辞書が現れた。これらの辞書は、大文字のメディアに対してオルタナティヴな役割としてのユーモアや専門的なもの、そしてフィクションを取り扱う過程で発達していき、とうとうそれ自体があたかも自己生成的であるがごとき存在になった。
(中略)
その結果、これらの物語は単なる二次創作ではなく「もう一つの現実」とでも言うべき高解像度の記述を増殖させることとなった。
(中略)
今や社会の高度情報化に伴って、メディア報道以外の場面においても、現実に実在していないにもかかわらず高密度の情報が結集する場面が頻発している。その主要な舞台はインターネット上であり、ネット上で提供されるクラウド的な辞書サービスたちは、そのクラウド性によってまさに「高密度の情報が結集する場」として、様々な「別の現実」を観測し出している。
宇野の用いた「もうひとつの現実」と、村上の論じる「もう一つの現実」が、それぞれ異なる世界のかたちを指していることは確実です。
現代のフィクションにおける「もうひとつの現実」の後退を主張する『リトル・ピープルの時代』に対して、現代的なフィクションの在り方として「もう一つの現実」の効力を説く『ゴーストの条件』。
そこで両者の内容は対立/矛盾しているのか? と考えるよりも、その用語が同音異義であるとみた方がよいでしょう。
「現実」という言葉に込められた異なる水準
ここではないどこか。架空の歴史(パラレルワールド)や、異世界を意味しているという点では同じコトバかもしれません。
しかし、『リトル・ピープルの時代』で宇野が例示しているのは『グイン・サーガ』『銀河英雄伝説』『幻魔大戦』などのタイトルです。
そこで紡がれる「歴史年表」というのは、いかに膨大で綿密な出来事が蓄積されようと、究極的には「公式の原典」=一人の作者の記述に帰するものです。
『ファイブスター物語』の作中で確定されている「年表」などはその極致といえるでしょう。
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作者の頭の中や、公式の設定資料の中に「正しい歴史」が流れており、受け手は公式のコンテンツを読破することで「年表」や「その世界の辞書」を感じることができる、というかたちで世界の強度(=存在の不透明さ)が支えられています。
確固とした物理法則や、因果関係に基づいて歴史が進行しているようだ……そんな「架空のリアリティ」において「もうひとつの現実」と呼ばれうるわけです。
一方、『ゴーストの条件』が説く「もう一つの現実」とはいかなる世界か?
キーワードは、書名のサブタイトルでもある「クラウドを巡礼する想像力」と、「都市伝説的感性」いうもの。
『ゴーストの条件』が論じる「もう一つ現実」は、『リトル・ピープルの時代』とは真逆に、「帰するべきオリジナルの情報」というものをかぎりなく無化するベクトルを有しています。
Web上の過剰な二次創作であったり、Wikipediaやアンサイクロペディアの膨大な(出典を確かめようがない/嘘八百の)項目であったり、すべての投稿を追いきれないニコニコ動画の物語と、vipのやる夫スレ……。
自己生成される物語。
物語世界の全体像はユーザーの認知限界を容易に超えていくでしょう。
「オリジナル=原典」に遡ることが不可能になったまま、「クラウドの辞書」が共有されていく歴史。
すると『リトル・ピープルの時代』で言われるような「もうひとつの現実」とは、「クラウドではなくローカルサーバーの辞書」を持った世界として対置できるでしょう。
つまり『リトル・ピープルの時代』はフィクションの世界観を「非現実と現実」という二分法で区別しますが、『ゴーストの条件』は「ローカルとクラウド」という二分法で世界の在り様を区別しているのです。
さらに『ゴーストの条件』は「都市伝説的感性」というキーワードを用いて、「もう一つの現実」こそが現実と区別がつかない、と説くことになります。
ときにWikipediaとアンサイクロペディアの見分けがつかなくなるように、現実こそが「辞書でしか知りようのない知識や設定」「知っていても確かめようのない情報」……いわば「現実から半歩ズレた都市伝説」に満ちあふれています。
『ゴーストの条件』の論旨においては、そんなアンサイクロペディア的な都市伝説すらも「虚構」と称され、「もう一つの現実」の範疇に入ることに注意しなければなりません。
(一方『リトル・ピープルの時代』においては、そうした「現実から半歩ズラした世界」は拡張現実と呼ばれ、「もうひとつの現実=仮想現実」と区別されていたことにも注意!)
『ゴーストの条件』p164
ある条件が揃ったとき、我々は虚構に極めて密度の高いリアリティを見出すということである。このとき生じるリアリティの高い虚構のことを「都市伝説的なもの」、そしてこのような都市伝説的なものを見出してしまう感覚を「都市伝説感性」と、改めて定義しておこう。
つまり『ゴーストの条件』においては、「都市伝説感性」によって認識されていく点において「クラウド上の世界もまた現実のようだ」と論じているのですね。
両者の語義を以下のように比較することもできるでしょう。
『リトル・ピープルの時代』でいう「現実」とは、物理的な存在感や秩序で成り立つようなリアリティを指すものでした。
対する『ゴーストの条件』では、その世界のすべてを確認することなどできないという情報の広がりにリアリティを求め、それを「現実」と名指したのだと思われます。
その結果、『ゴーストの条件』における「もう一つの現実」の定義は、『リトル・ピープルの時代』における「もうひとつの現実(=仮想現実)」と、「拡張世界」の双方にまたがる言葉になっている。
極端に言えば、「もう一つの現実」とは「拡張現実」とニアリーイコールにできるだけでなく、「もう一つの〈もうひとつの現実〉」にもなりうるということでしょう。
テクニカルタームの比較検証としては、そう締めくくることができるでしょうか。ご意見お待ちしています。