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ヱヴァ破と、二人のアスカと、彼氏彼女の事情〜「優秀さ」と戦う物語〜

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 先週にリリースされた、ヱヴァ破。
 待望のメディア化でした。ぼくも発売直後に、友人宅で鑑賞会をして盛り上がっていました。


 友達とワイワイ突っ込みを入れながら観るという体験は、劇場ではできなかった楽しみ方です。
 実際にそんな「実況プレイ」をやってみてわかったことは、こりゃあやっぱりオタクにとって凄く面白いエンターテイメントなんだな、ってこと。

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 前回の「序」が全体的にシリアスな映画だったのに対して……、コメディやお遊びが多く、シーン同士の接続もしっちゃかめっちゃかな「破」はツッコミ誘発力が高い。ニコニコ動画で言えば「コメントや弾幕が付きやすい」面白さが豊富なんでしょうね。


 特に、アスカの行動がいちいち突っ込みどころだらけで楽しい。かわいい。
 逆に、マリはそれほど活躍しているように見えない。劇場で観たときは「他のキャラを喰いまくっている」のがマリの印象でしたが、改めて観てみると「破はやっぱりアスカの映画だなー」と思ったりします(いや、それでもマリの役どころは素晴らしいもんなんですけど)。
 公開当初「アスカの扱いが悪い」って言ってたアスカファンはなんだったんだって感じですね。


 そんな風に目立っちゃってる「式波・アスカ・ラングレー」を通して描かれるのは何か、っていう話にもなってくるでしょう。
 ちょうど去年の11月にmixiで書いていたメモがあって、それはずいぶん長いあいだ眠らせていたネタなんですが……。ヱヴァ破のメディア化に合わせて、それをお蔵出しするのが今回のエントリです。

「優秀さ」との戦い

 当時のメモを記したきっかけは、とあるブログで5年以上前の自分の記事を言及されたことでした。
 それは初代『ふたりはプリキュア』についてのエントリでした。今読むと恥ずかしい文章ですが、ちょっと引用。

 ほのかにとってのなぎさとの関係は、「優秀さ」を無くした所に立脚している。だからほのかにとって、なぎさの長所よりも短所の方が重要な意味を持ってくる。
(中略)
 ピーサードの退場戦を思い出そう。彼が確実に勝てる戦いを放棄し、正々堂々の勝負を挑んだのは、あくまで自分一人の「優秀さ」を誇示しなければならなかったからに他ならない。誰でもやれることに価値は無く、自分にしかできないことでなければ、それが掛け替えのない能力でなければ、実力とは呼べないからだ。
 ポイズニーもまた、「実力=優秀さ」という言葉にしがみついており、独自の理念を語りながら「優秀でなさ」を否定する。
 彼らの掲げる実力至上主義が支配する世界は、今ほのかが愛しているラブコメの世界とまったく正反対の位置にある。
(中略)
 一見すれば単純な善悪二項対立だが、これは悪対正義の戦いではなく「優秀さ」と「優秀でなさ」の対立でもある。「優秀さ」だけにしがみつくか、「優秀でなさ」を愛するかの戦い──。

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 敵方が実力主義の「優秀さ」を誇示し、「そんな考え方は間違っている!」と主人公サイドが反抗するという構図は、プリキュアシリーズ全体を通した伝統にもなっている題材ですね。


 単純な対立関係ですが、ぼくはここから、80〜90年代に流れていた「時代の空気」を読み取ったりもします。
 ラブコメの空間で戯れ、社会に認められる長所よりも「魅力的な短所」を愛するプリキュアたちの態度は、80年代的なラブコメスノッブさ(=世間に対する軽蔑視)を思い出させるものでした。

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 プリキュアシリーズは基本的に、この「軽蔑」の問題を「みんなのために悪と戦う」「夢を目指して頑張る」ことによって乗り越えようとします。



 さて、そう考えてみるとエヴァンゲリオンは。
 『新世紀エヴァンゲリオン』を産んだ90年代のフィクションは、「取り替えの効く優秀さ」との戦いが多く見られました。
 「旧エヴァ」の惣流アスカ、あるいは永野のりこ作品のヒロインなどを思い出すといい。
 「誰にも必要とされない」「世界から見放されていること」こそが、この時代の苦しみでした。みんな以外のうた。

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  • とても「アスカ」的なキャラ造形だった『電波オデッセイ』の原さん


 そんな時代の空気に生きていたアスカはだから、特に「優秀さ」にしがみつく子供でした。
 有能でありさえすれば、世界に居場所がもらえるはずだ……と、幼い彼女は考える。
 しかし、その優秀さは「必要がなくなれば要らなくなる能力でしかない」、と見抜いていたのが澤野雅樹のエヴァンゲリオン論です。
 少し長いですが、――ぼくにとって当時、とても強い影響を受けた文章でもあるので――要点を引用してみます。

澤野雅樹「左利きの小さな戦い──EVAに乗る者たち」より(初出は『ユリイカ』1996年8月号)

 存在そのものが不要な者たち、あるいはそう思いこんでいる者たち。彼らは能力にしがみつく──眼前にぶらさがる人参に飛びついていくゆくように──。その能力さえあれば人から必要とされるようになる。嫌われまいとする碇シンジは、能力と功績を褒められることで、存在の綻びを少しずつ繕うのである。
 そして母から捨てられたと思いこんでいる少女、惣流・アスカ・ラングレー。彼女の場合、有能さに賭ける度合いはシンジよりもはるかに切実である。彼女はみずからの卓越した能力を誇り、尊大な態度を取る一方、他人から必要とされなくなることを極度に恐れている。一四歳にして大卒という経歴は、とびきりの有能さを裏づけるだろう。しかしながら、その優秀さは結局のところ、あてがわれた記憶術の賜物でしかない。いくらでも取り替えのきく能力でなければ、他人から有能と呼ばれることはないのだ。ならばその誇りもまた……。(中略)アスカは自分の能力が卓越したものであることに固執している。しかし、レイは能力はおろか生存にすら期待していない。(中略)レイが固執しているのは人間関係ですらない「絆」なのだ。(中略)他者との絆というより、むしろ「私=私」という等式のかなめである絆、取るに足りぬイコールの符号である。

エヴァンゲリオン快楽原則』p137-139

人は自己を同定する際、たとえどんな儚いものであっても、述語にしがみつかざるをえないのである。私は有能なのでしょうか? ええ、有能ですとも。ほんとうに? ええ。ほんとにほんと?(中略) 必要とされているうちは、きっと必要だと答えてくれるだろう。ええ、有能だし、大好きだよ、と。ところが今や誰からも必要とされない。そんなとき、人はわざわざ不用だとか嫌いなどと言ってはくれないものだ。(中略)ただ時おり人伝てに知らしめられるだけだろう──(中略)たとえ有能でなくとも、存在を必要とされるならば、それで十分だと言えるだろう。ところが人の存在は往々にして能力に付随するものでしかない。(中略)愛が注がれるとすれば、能力に対してではなく、存在に対してだろう。

エヴァンゲリオン快楽原則』p141-142

 たぶん我々は有能であろうとするのをやめられない。どんな仕事にも適性がなく、どんな職場でも力を発揮できず、誰からも必要とされない人間であること──それを誇りにして生きる者はいない。

エヴァンゲリオン快楽原則』p144

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 エヴァ「ヱヴァ」に至る時代を追う上でカギとなるのは、こんなアスカの心象を引き継ぐヒロインとして彼氏彼女の事情カレカノ)の宮沢雪野が登場していた、という文脈の流れです。

津田雅美彼氏彼女の事情』で乗り越えられる「優秀さ」

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 カレカノの主人公である宮沢雪野は、90年代的な「優秀さへしがみつく病」を前提に有して登場します。

  自信があった
  私は“うまく”やっている
  賢い生き方してるんだって


  ゆくゆくは
  高級官僚か
  弁護士か
  エリートコース
  人生の花道
  表街道を
  人々の賞賛を浴びつつ
  バク進してゆく


  最高だ
  迷いなんかないね
  ほかにどんな
  すばらしい人生が
  あるというのだ


 こう笑顔で語る雪野の先には、惣流アスカと同じ空虚が待っていることを90年代の我々は、はじめから知っていました。


 だから雪野はハッピーエンドを迎えるために、交換可能な能力に見切りをつけ、「優秀さを問われない人生」を手に入れようとします。
 世間での優秀さが問われずとも「自分の存在を誰かに必要とされるもの」、それは彼氏彼女の関係であり、仲間同士の「絆」です。


 しかしこの解決は、「軽蔑」の問題を呼び込むものであることも、80年代のスノッブさを知っている読者なら気付けることでしょう。
 「他人に評価されるために生きるなんて、俗物の人生だ」……と、俗世間を「軽蔑」するラブコメ特有のスノッブさがそこに立ちあらわれます。


 しかし雪野というキャラクターの「すごさ」は、結局その「俗物の人生」を否定しないところにありました。
 むしろ「優秀であろうとすること」を肯定できる人生を、再び選択しようとします。
 雪野自身は「存在そのものを必要とされるような自分」も好きだったし、そして「優秀さを評価される自分」も、両方とも好きだったからです。


 だからこそ雪野の物語は、有馬のおばである詠子に向かって「私は凡人だから努力しなきゃいけないんです」と微笑みかけ、詠子おばさまを空虚な人生から救い出す瞬間にこそ完成します。


 「優秀さ」でしか存在を認めてもらえないような人生が全てだった詠子おばさまを救済するということは、雪野にとって「なりえたかもしれない空虚な私」を肯定し、救い出すことでもあったから。
 惣流アスカにはできなかった成長をしたのが、雪野でもある。
 『彼氏彼女の事情』は、90年代における実存の苦しみと、80年代的なスノッブの問題を同時に昇華しえた「ラブコメ」だと言えます。


 ただ、庵野秀明監督(ガイナックス制作)のアニメ版が未完で終わっている関係で、アニメ史的にはあまり記録に残されていないように思える文脈ではあるのですが……。

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 だからこそ、ぼくが破の放映当時からちょくちょく指摘していた「破のBGMにカレカノのサントラが流用されていること」にも強い意味が感じられるっていうことです。
 しかもそのカレカノサントラ、「アスカ登場」から退場にかけての間にかぎって流れるんですよね。なんて示唆的。
 以下は、ろくさんによるBGM分析です。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破では「彼氏彼女の事情」という庵野さんが監督しているアニメのBGMがたくさん使われていました.


(中略)


この中で二回以上使われている楽曲を整理すると

  • 平穏無事
    • アスカ(生身)登場シーン,アスカと同居が決まった
      • アスカとの日常シーンに使われている曲
  • 暗中模索
    • アスカベッド進入,レイ+アスカ、エレベータ
      • アスカが他者を理解or認めるシーンで使われる曲
  • 天下奏平
    • 消毒→水族館,レイが「おはよう」→アスカ嫉妬,レイが弁当を作ることを仄めかす→アスカが食事を作ってる
      • 日常シーンに使われる曲(でもやっぱアスカ絡み
  • 一期一会
    • ミサトの過去,加持さんと畑仕事
      • 大人の曲

こー並べると,基本アスカのシーンで印象的にカレカノのBGMを使っていることがわかる.
(しかも,私が調べる限り,アスカ登場からアスカ退場の間だけで使われている)
ここからも,このエヴァ破の中でアスカというキャラクターがどれだけ重要で,他のキャラクターと差別化されているのかがわかる.

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 そしてアニメ版の『彼氏彼女の事情』を制作したガイナックスのスタッフたちは、そのまま『フリクリ』〜『トップをねらえ2!』へと流れていきます。
 彼らはそこで、旧エヴァへのアンサーを細々と導きだしていた。
 鶴巻和哉監督(カレカノでは演出)などには、わりとはっきり「フリクリは自分なりのエヴァへのアンサー」的な発言もありました。


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 カレカノのようなかたちをひとつの模範解答として、だからトップ2のチコは「あなたはスコアのことしか考えていない」とノノに告げられるでしょう。
 チコが優秀さにこだわるのは、アスカや詠子のように「実存を懸けてしがみついている」というより、むしろ「優秀な能力が取り替え可能なものでしかないことを証明してやる」ためです。


 優秀さに絶望しているチコは、自傷的に空虚な人生を選ぼうとしていました。しかしノノの言葉によって自分を信じ、「あの人のためじゃない、私のために」人々を守る心に目覚めます。
 チコの目覚めは、ラブコメスノッブさを経由しないまま答えに直結するからこそ、力強くて美しいものがあります。


 反面、主人公であるラルク――チコに「優等生」と揶揄される、自身の才能のみで生きている少女――の物語は、ラブコメ空間のスノッブを経由します。
 ノノによって「優秀さ」以外の生き方を見付けた直後のラルクは、「ノノさえいれば他はどうだっていい」と言わんばかりでしたから。
 ラルクの物語は、この内向的なスノビズムを抜け出すことでようやく完成します。


 スノッブさを通して空虚な自分から脱するという意味で、ラルクの成長過程と、ヱヴァ破におけるシンジの目覚めは良く似たものです。
 他人からの評価を恐れ、有能さにしがみつくような脆い実存を抱えていたシンジも、「誰かのためじゃない、自分自身の願いのために」戦う意志に目覚めますが、しかし同時にスノッブの問題に陥ります。「世界がどうなったっていい!」という軽蔑……。
 実存の不安と戦い抜いた彼は、次にこのスノッブさを乗り越えなければならない。


 シンジがそうである一方、「式波」アスカはおそらく、雪野と同じ道をたどれるようなキャラクターです。
 レイやミサトやシンジに心を許し、「優秀さを問われない人生」を受け入れつつ退場するのが「破」のアスカでした。
 そして彼女は、「俗物のような優秀さ」を否定することもない人物でしょう。むしろ率先して俗物であろうと、優秀であろうとするのではないのか。雪野と同じように。


 問題を現実に引き戻して、この「優秀さ」と「軽蔑」の対立関係を見直してみましょう。
 すなわち、実存を得ないまま社会で「優秀さ」に懸ける人の人生は空虚なだけですが、社会での優秀さを「軽蔑」して得る実存はスノッブにすぎる――と。問題はソコです。
 他人を言い訳にして生きることは空虚で、そこから脱するために「自分のために」という言葉が出てきます。ただしそこで、自分のエゴだけに閉じたままでいられるわけはない。


 雪野とチコ、ラルクはこの問題を解決しているキャラクターたちであり、マリはすでにその前提を踏まえた世界に由来するキャラクターのように登場します。
 このことの意味は、新劇場版にとってとても大きい。
 シンジは、いきなり意味も無くヒーローとして覚醒したわけではないですし、また、アスカも無意味にトラウマを解消して退場したわけではないだろう、と期待できるわけですから。


 あとそうそう、新劇場版には「コドモとオトナの対立」という観点から「Q」への期待も含めて考えていたことがあるのですが、そういう別の話はまたの機会に。