HOME : リクィド・ファイア
 移行後のはてなブログ:izumino’s note

相田裕の持つテーマとは〜後悔と挫折を抱えて〜

 ちょっと前に、相田裕GUNSLINGER GIRL』の12巻が発売されました。

GUNSLINGER GIRL 12 (電撃コミックス)GUNSLINGER GIRL 12 (電撃コミックス)

アスキー・メディアワークス 2010-04-27
売り上げランキング :

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


 また先日のコミティアでは、オリジナル同人誌の新作『ダッシュダッシュ!』も発表されています。
 この機会に、相田裕の作品シリーズに通底するテーマ、について一気に書いてしまおうかと思います。どうぞお付き合いください。


 同人誌のシリーズの方は、決まった通称もまだ無さそうですから、とりあえず一作目のタイトルから「バーサスアンダー」のシリーズ、と呼ぶのがいいでしょうか。
 入手の機会があれば、ぜひ読んでみてほしいシリーズです。


  1. バーサス・アンダースローとらのあなメロンブックス
  2. チェンジ・オブ・ペースとらのあなメロンブックス
  3. ダッシュダッシュ!(とらのあなメロンブックス


 そもそも相田裕は、「JEWEL BOX」というサークル名で活動していた同人出身の商業漫画家です(→公式サイト)。
 その彼が再び「JEWEL BOX」として同人誌の新シリーズを始めたというのは、同人界ではちょっとしたニュースでした。
 今回のティアズマガジンで表紙イラストを担当しつつ、インタビュー記事に応えていることからも、その注目具合が窺えます。


 バーサスアンダーは好評なシリーズのようです。
 でもあまり注目されていないようなのが、その見た目以上に「ガンスリと共通するテーマ」が内に込められている、ということ。
 感想の多くは「作風がガンスリと全然違う」「意外なテーマ」という類のもので、ぼく自身もはじめはそんな感触でした。でも……、実際はそうじゃないのでは? と後から思うようになりました。


 そしてバーサスアンダーからガンスリを振り返ってみると、フィードバックして理解できてくることがあります。
 それを一言で云うなら、現在の相田裕作品は「後悔と挫折を抱きしめること」というテーマが込められているのでは、ということです。

薄幸の少女の物語から、不幸な大人の物語へ

 かつてにおいて、相田裕のテーマは「一日を一年の色濃さで」という、短命薄幸の少女の実存を描くことでした。


「一日を一年の色濃さで!!」


相田裕『FLOWERS』 / 『コミックメガフリーク』vol.3(2000年12月号)


 このテーマは……、ガンスリの10巻、トリエラのエピソードでほぼ完成します。
 トリエラの云う、


この人と一緒に 必死に生きて そして死のう(p128)


記憶がなくなっても無に帰するわけじゃない… そう信じて精一杯生きるんだ(p171)

GUNSLINGER GIRL 10 (電撃コミックス)GUNSLINGER GIRL 10 (電撃コミックス)

アスキー・メディアワークス 2008-10-27
売り上げランキング :

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

……というセリフは、2000年に描かれた『FLOWERS』の延長線上で絞りだされる想いです。


 この完成したテーマに対して、現在加わっているのが、不幸な大人の実存を描くことだと言えます。
 ちなみにこの「大人」というのは、「義体の少女以外の」というていどの意味で、少年や青年も含められます。
 バーサスアンダーの登場人物たちも、高校生ですから。


 ガンスリの途中から(もしくは最初から?)表面化してきた、このテーマ。これが言葉にしにくいくらい、「良い」んです。
 同時代的な作品をオタク向けから探すと、『生徒会の一存』シリーズや『Angel Beats!』が連想されたりもします。

 ここで大事なところは、先月のぼくの『Angel Beats!』感想でも述べていたことですが、

「ありふれた不幸で深刻な出来事」というのは、「もっとよくありふれた、世間的には全然深刻ではないが本人にとっては死にたくなるようなこと」のメタファーとして機能すると思っていて、だからこそ共感を誘いうる

http://twitter.com/izumino/status/12428203070

……という普遍的なメッセージになりうるモチーフだということ。


 ――個人の不幸やトラウマを、一人前ぶって「多かれ少なかれ誰にでもあることだろう」「自意識過剰な自己愛だろう」と軽んじるのでもなく。
 ――かといって「心の傷は一生回復できない」「世界を呪い続けずにはいられないほどの禍根」と深刻に捉えるのでもなく。


 「誰にでも最悪の体験というものはあるし、その傷は報われた方がいい」という価値観で包まれた世界。


 そんな空気が特に、同人誌のバーサスアンダーでは気持ちよく流れています。
 この空気は、ぼくが『生徒会の一存』に感じていた「癒し」の価値観とも似ています。

「薄幸短命」というテーマ


友人と女の子はいいよねーって創作話をしていた時、私は自分の作品を振り返って「大人になる前に死んじゃう
運命の短命系が多い」
ってことに気づきました。ちなみに友人は「大人にならずにずっと成長しない系」だそうです。

JEWEL BOX『TATAKAUMONOTATI 2nd』(2000年冬コミ発行の同人誌)


 初期の相田裕の作品というのは、少女信仰にも似た、ロリータ・コンプレックスの発露から始まっています。


 だから元々ガンスリでは、「義体」と呼ばれる少女たちのドラマを描かんとしているように見えました。
 記憶を消去され、余命幾ばくもない少女たちの不幸は、「過去がなく、未来もないこと」で象徴されます。


 それでも義体の少女たちには、幸せを感じる「自由」があります。


少女に与えられたのは、大きな銃と小さな幸せ。


義体」と呼ばれる機械の体、薬による洗脳。居場所を求め銃を手にした少女たちの毎日は過酷だが、決して不幸ではない。

 単行本の帯に載せられた、上記のコンセプトワードが言い表しているように……。


 過去が失われているからこそ、今の幸せを全力で享受する。
 未来が閉ざされているからこそ、一日の幸せをもっと色濃いものにする。
 それが義体たちの物語であり、あのトリエラのエピソードがこのテーマを特に優れた形にしています。


 その一方で、大人たちの不幸は「過去の未練や挫折、後悔などによって、未来が縛られること」に集約されます。
 これは、薄幸少女とセットで「大人」を描いているうちに自然発生したモチーフのようにも思えます。
 過去を断ち切ることもできず、短命ではない我々の、「残されてしまった人々」としての問題が浮上するからです。


 だからか、義体に救われるなり、義体を保護するなりする「社会福祉公社」の大人たちには、なんらかのトラウマや欠損が設定されていました。

「後悔と挫折」というテーマ

 バーサスアンダーの生徒会と、ガンスリ社会福祉公社は、同じタイプの人間を集めた組織だ、という点で相似です。
 たいていのメンバーが挫折や喪失によって、それまでの人生を否定された経験を持っています。


 バーサスアンダーの生徒会には、ドロップアウトした体育会系の学生がスカウトで集められます。主人公は、腕を悪くした野球部の投手でした。
 また社会福祉公社も、ドロップアウトした元軍人や元警察がスカウトされて所帯を作っています。
 彼らが触れ合うことで、挫折を埋め合わせ、それまでの人生を「報わせる」ことがメインテーマとなる。


 このテーマとの良い比較になると思われるのが、ひぐちアサ『ヤサシイワタシ』、それと『大きく振りかぶって』です。


ヤサシイワタシ(1) (アフタヌーンKC)ヤサシイワタシ(1) (アフタヌーンKC)

講談社 2001-06-20
売り上げランキング :

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
ヤサシイワタシ(2)<完> (アフタヌーンKC)ヤサシイワタシ(2)<完> (アフタヌーンKC)

講談社 2002-03-19
売り上げランキング :

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


 『ヤサシイワタシ』は私立大学の写真部が舞台ですが、主人公である芹生弘隆は、足を怪我してドロップアウトした元テニスプレイヤーです。
 腕の故障で野球部からドロップアウトした、バーサスアンダーの主人公と境遇は良く似ています。
 しかし、バーサスアンダーの世界が、彼の挫折を「報わせる」方向に動いていくのに対して、『ヤサシイワタシ』の世界は、ただ暗くて救われない青春を主人公に与えます。


 そんなひぐちアサはだから、基本的に「暗い人間」を見ようとしている人だと思うんですね。大学を心理学科で出ていることも関係しているかもしれません。
 その彼女が『大きく振りかぶって』で「甲子園漫画」を手掛けた途端、内向的な少年に信頼できる仲間を与え、明るく更正させる話を描くようになった。この変化は、読者として感慨深いものがありました。

おおきく振りかぶって (1)おおきく振りかぶって (1)

講談社 2004-03-23
売り上げランキング :

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


 ひぐちアサにとっての高校野球というのはきっと神聖なもので、明るい世界なのでしょう(作者コメントでも、いかに高校野球を愛しているかが激しく伝わってきます)。
 野球をやっててダメになる人間なんていやしないんだ! 極端に言えば、そんな信頼すら感じられる漫画が『おおきく振りかぶって』です。


 でも実際は『ヤサシイワタシ』の主人公のように、野球でも挫折してドロップアウトする人間はいるんですよね。
 その体験をした少年は、世界を呪うかもしれない。死にたいと思うかもしれない。もう二度と前に進もうと思わなくなるかもしれない。
 そんな人間の挫折を、どうすれば抱きしめられるのか。バーサスアンダーでは、そんなことが描かれていると思います。

分岐するジャンとジョゼの人生

 では次は、「ガンスリ」の最新刊の話です。
 12巻で、ジャンとジョゼがした「挫折」の対比がはっきりと描かれます。
 

 ジャンは家族だけでなく、婚約者も同時に失っています。今までのキャリアを捨て、「復讐の道」へ進む人生の始まりです。
 彼は最愛の恋人を(神聖な婚姻の儀式、指輪の交換でもって)永遠に愛しているからこそ、義体に情愛が向かうことはない。義体は単なる「道具」です。
 その上で、義体のリコを「異性として扱わないからこそ」良好な仲でいられている、というのがジャンとリコという「兄弟(フラテッロ)」の関係性でした。

GUNSLINGER GIRL 11 (電撃コミックス)GUNSLINGER GIRL 11 (電撃コミックス)

アスキー・メディアワークス 2009-07-27
売り上げランキング :

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

  • 「ジャン」と「リコ」


 しかしジョゼが失ったものは「妹」という家族であるため、義体ヘンリエッタが「未練の埋め合わせ」になりえてしまいます。
 ヘンリエッタという名前も、エンリカと同系の命名です(ちなみに男性名にいじってはいますが、ジャンが付けた「リコ」という名前もエンリカと同系です)。


 ジョゼがヘンリエッタをエンリカの代償として見ていたことは、12巻の第72話「Fantasma」ではっきり示されます(Fantasmaは亡霊、幻影の意)。


『それとも…… 私の代わりのあの子の方が大事?』(p140)


『嘘 兄様はあの子を贖罪の道具にして 公社で復讐の機会を得て 全部自分の都合じゃない』(p141)


 未練や後悔にもさまざまな形がありますが、そのうちでも特に、取り返しがたいものの「喪失」と呼ばれるものは「復讐」という手段で埋め合わせを取ろうとします。
 だから無二の恋人を奪われたジャンの人生は、ただ純粋に復讐のために費やされます。それは、復讐することでしか彼の「未練」の炎が止まらないから。


 しかし、ジョゼの喪失をあがなうものは「復讐への炎」だけでなく「妹の代わり」という別の可能性がありえて、彼の人生はこの両者に引き裂かれることになります。
 しかも実の妹ではないヘンリエッタは、ジョゼにレディ扱いされることで、ジョゼを兄ではなく男性として慕っている……という危険なすれ違いも孕みながら。

ガンスリは二種類の人生のセッション

 義体の少女にしろ、ドロップアウトした大人にせよ、ガンスリで描かれているのは人生のやりなおし――セカンドチャンスと呼ばれるものです。
 ただ、記憶そのものを喪失している義体と、トラウマによって駆動する大人とでは、そのやりなおしの描き方、乗り越え方も、当然異なってくるでしょう。
 だから、その二種類の人生が並んで描かれるガンスリは、ふたつのテーマのセッションとして読むことができます。


 そういう世界観の中で、「ジョゼの復讐 or 回復」と、「ヘンリエッタの救済」が並行して描かれるのが、ガンスリの全体を締めくくるエピソードである、と予想されます――。


 最新刊である12巻は、「addio」という副題のエピソードで締めくくられます。
 このイタリア語の意味は、「二度と会うことのないもの(処分品など)に対する別れ言葉」――つまり、公社によるヘンリエッタの「処分」を表すものです。


 もちろんここまでの物語で、クラエス、トリエラ、そしてペトロシュカといった他の義体たちの物語が展開していた以上――どの義体のドラマも最高に優れていたものでした――、ジョゼとヘンリエッタだけの話として終始するとは考えにくいのですが。

余談/サンドロとペトロシュカについて

 この記事の本題からは離れるのですが……。
 「ジャンとヘンリエッタ以外」のフラテッロの中で、特に重要な役割を果たしそうなのが「サンドロとペトロシュカ」の二人です。


5年だって? そんな先の事 自分の生き死にだってわからねえ
そう…ずっと先のことさ(p131)

 これはサンドロが「ペトロシュカの余命」を忠告された際のモノローグ。
 こうした「覚悟の欠如した闇雲さ」に加え、自分の義体をはっきりと「女性として愛して」しまっている彼の状況は、むしろ「同人版ガンスリ」のジョゼを想起させます。



 絶版になっている「同人版ガンスリ最終話」である『idle talk』のストーリーは、だから商業版から見ても興味深いものです。
 『idle talk』のジョゼとヘンリエッタのドラマでは、「亡き妹の代償」という設定は強調されていません。どちらかというと「男女の性愛」で結びついた関係として、描かれていました。


 その関係はむしろ、「商業版のサンドロとペトロシュカ」に受け継がれているように見えます。
 しかも『idle talk』には、「公社を裏切ったジョゼとヘンリエッタ」を粛正する「刺客」として登場するフラテッロがいるのですが、彼らに与えられていた名が「サンドロ」「ペトロシュカ」だった……というのも皮肉な配役です。


 『idle talk』のペトロシュカは、担当官のサンドロに告白します(二人とも、キャラデザや性格は商業版と別人です)。
 「公社に処分される運命のヘンリエッタを連れて、逃避行中のジョゼたち」を追いながら告げるシーンです。


「サンドロ様」


「ん?」


「私を連れて逃げてくれますか?」

JEWEL BOX『Another "gun slinger girl" Episodes-01 for Adult [idle talk]』(2000年夏コミ発行の同人誌)


 この問題には、まずクラエスの担当官であるラバロが挑戦し、敗れます。
 アンジェリカの担当官であるマルコーは、ベッドで看取ることができただけ幸福と言えたでしょう。
 ヒルシャーは、トリエラの側ですでに覚悟を得ることができています。
 ジャンとリコにためらいはもはや無いでしょう。


 まだなにも決められていないのは、ジョゼとサンドロの二人だけです。