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「粋」から「無粋」へ踏みこむ恋の物語/『WHITE ALBUM2 -introductory chapter-』

Leaf(リーフ)

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 敷居さんの薦めを受けて、ホワルバ2をプレイしていました。
 結論から言うと、すごく気に入った作品です。オススメ感謝。


 前作のホワルバとは世界(=音楽業界)がつながっているだけで、ドラマ上の連続性の無いタイトルです。
 なので、2からいきなりプレイしてもOKですよ? という前提で「どこをどう気に入ったのか」という話をしたいと思います。

一本道シナリオである「序章」

 まずはパッケージとしての形態から説明すると、今発売されている「introductory chapter」は全体の序章という位置付けで、次の冬に出る「closed chapter」がつまり終章となる構成です。


 「introductory chapter 限定版」のパッケージには短い小説本が付属していて、これは一周目プレイ後に読むためのもの。そして「一周目をクリアすること」をトリガーにして解禁される二周目プレイでは、いくつかの隠しイベントが追加されます。


 選択肢のない、完全な一本道シナリオなのですが、この「一周目を読む」→「付録の小説を読む」→「二周目で解放された隠しイベントを補完する」という流れでシナリオ全体をコンプリートできるという仕様。


 こんなシステムにしているのは、「ゲームでやる必然性が無い」とか言われがちな一本道シナリオに「ゲーム性」を与えようとした工夫なのでしょうが、個人的にはゲーム性のない一本道シナリオで良かったのではという気もしています。


 二周目プレイ時のサプライズを表現したいという意図はわかるんですが。逆に言うと「一周目のエンディングでいくら感動しても、物語の意味がちゃんとわからない状態で感動しないといけない」というのは読者に不親切じゃないかな、と。
 作品への評価を、一周目クリア時点(重要なイベントが伏せられたままの状態)で採点してしまう人もいるとすれば、結果的には損をするシステムじゃないか、と思ってます。
 デジタルなノベルと、アナログな小説をセットでパッケージングするという試みは面白いので、それだけをウリにしても良かったかも。


 で。一本道シナリオであること、しかも三角関係の話、という意味で君が望む永遠』の体験版のようなもの……。と紹介するとわかりやすい。しかし「序章」という言葉からイメージできるもの以上に単品の作品としてかなり完結しちゃってるのが「introductory chapter」です。


 ネタバレ反転しますが、エンディング直前を飾る「もう二度と会わないことを誓った主人公とヒロインが、本音では心から愛し合っていることを伝え合う」シークエンスは、まさにクライマックスと呼ぶに相応しい瞬間最大風速を誇っており、「ぶっちゃけここで終わってもいいんじゃあ?」という納得感とカタルシスを感じさせます。


 また、ホワルバ2の特筆すべき点として「これでもかというほど正ヒロインがはっきり識別できるように描かれている」というのがあって、要するに序章をクリアした時点で「誰と誰が運命の恋人同士で、誰がその異分子なのか」という三角関係の結論は、サルでもどっちかわかるような終わり方をするのが「序章」なんです。


 次の「closed chapter」がある意味「本編」である……というのは勿論わかるのですが。それでも「ラストにちょっとハッピーエンドの示唆でも加えておけばラブストーリーとして綺麗に完結してるように見える」のが序章。である以上、「序章→終章」という関係よりも「完結した作品→その完結したあとの続編」という関係だと思った方が自然だな、という気がしますね。


 つまり、「いずれ来たりくるカタルシスへの布石」が序章なのではなく、カタルシスの頂点を一度迎えてしまう」のがホワルバ2の序章なんです。


 ちなみにこれは「未完結なら、遊ぶのはやめようかな」「単品作品じゃないと買う気しないな」と思っている人に遊んでもらうための説明。
 大丈夫、序章だけでもじゅうぶん「単品作品」として納得できるクライマックスを迎えますし、結論ははっきりしてるので、続編が出るまでモヤモヤするということもあまりありません。ちょっとだけモヤモヤさせられる程度です。

「粋」の先の「無粋」を見せる物語

 さて、さっきネタバレ反転させたクライマックスシーンなのですが、そこでカタルシスが発生するというのは、いわゆる「粋」の瞬間が描かれているから、なのでしょう。


 恋愛ものにおいて「粋」というのは、「相思相愛の気持ちが通じ合った瞬間こそが感動の頂点であり、そのあとの出来事は余計である」、という価値観を意味します。
 伝統的には、「告白が成功して、結ばれる」「愛の告白をしてから、永遠に別れる」「想いが通じ合って、心中する」などが粋なお約束であって。そのカタルシスの「その後」を描こうなんてのは野暮であり、ぜんぜん「粋」じゃない……つまり「無粋」であると考えられていたわけです。


 恋愛ゲームで、告白を通じて恋人同士になったり、セックスすることでエンディングを迎えることが多いのも、この「粋」の法則に従っているからです。
 ときメモシリーズの、告白するまでキスのひとつもせず……、そして恋人になった後については「伝説の力で永遠に幸せになれる」と約束されるだけで一切触れようとしない、というあの締めくくり方。アレなんかは、まさしく「粋」の極み。
 バッドエンド、デッドエンドのカタルシスを凝縮した『School Days』も、心中モノに通じる「粋」が込められていたと言えるでしょう。


 ここでのキーワードは、「クライマックスの続きなんかをじっくり描くもんじゃない」というスタンスこそが「粋」に通じる、ということです。


 しかしエロゲーやギャルゲーというジャンルは……。送り手も受け手も、どんどん「お利口」になって「舌が肥えて」いくジャンルであって、「粋」な恋愛だけでは充足できなくなっていくんですね。どうしても。なぜなんだか。


 じゃあ、その期待に応えるために、物語のレパートリーをどう増やせばいいのか? というと、当然「粋の先にある無粋な問題」にフォーカスを移していくしかないわけです。*1


 例えば、「結ばれたあとの家族生活までが描かれないと安心できない」という向きの消費者がいたとして、彼らを満足させた『CLANNAD』という大作があります。
 これなどはまさしく「無粋」な問題をテーマにしたわけです。
 『CLANNAD』はめちゃくちゃ真剣な大作として描き切ったからこそ、ヤボにならずに済んだわけですが、無粋であることには変わらないので「何度も繰り返して見たいテーマでもない」わけです。


 一方で『WHITE ALBUM 2』が選んだ物語は、「幸せの向こう側」というコンセプト・ワードに現れています。
 三角関係のラブコメで「結ばれなかった相手のその後も描くということ」という意味だそうですが、まぁ、愛の成就を頂点とする「粋」のドラマトゥルギーからすると、まさしく「無粋」にもほどがある話
 しかし、『CLANNAD』が「家族のその後」までを描かなければならなかったのと同様、『WHITE ALBUM 2』にも「三角関係のその後」を描く必然性があったと考えられます。
 それも、ただ描くだけではなく、納得のいくように描かなければいけない。エンターテイメントとして。


 この「粋」と「無粋」の関わりは、今ぼくらの間で話題沸騰になっているWeb小説家、橙乃ままれさんのSS作品でも説明できます。


 「黒髪娘〜」は、めちゃくちゃ美少女な萌えキャラ・黒髪娘の初恋が報われた時点でエンドマークが打たれるという、見事な「粋」を体現しているお話です。その後の生活の不安なども残しつつ、「この娘ならなんとかなるだろう」という希望でラストを支えている。


 しかし、同じ作者による「魔王〜」は、本来ならクライマックスであろうシチュエーション(=勇者による魔王討伐)から物語が始まり、本来の「粋」なエンドをズラしてハズすところから、壮大な物語が再スタートするという構造を取っています。
 それは普通の物語なら、「無粋」すぎて踏み込もうとしなかった領域なんですね。その無粋さをエンタメに昇華する手立てが見当たらなくて、踏み込もうにも踏み込めず、足止めをくらっていたテーマでもあるでしょう。
 でも「魔王を倒して戦いに終止符を打つ」という「粋な結末」についてなら、「魔王〜」の作中人物が比喩的に言及しています。それを意訳するとこうなるでしょう。
 「今まで、粋なラストを迎えた世界は、ことごとく滅亡をくりかえしてきた」と。


 カタルシスの頂点で終わらせる必要があるというのは、「その後」の世界を描くことができないからです。
 もちろん、恒久的な平和が訪れて「ものがたるようなことが何も無い」という未来ならまだいいのですが、「平和だとはかぎらないから描けない」可能性も残る――むしろその不安の方が大きい――わけです。


 だからこそ、勇気をもって「無粋」とされてきた領域へと踏み出し、未来の地平を切り開くような作品も求められてきます。
 「魔王〜」では、その地平の先を「丘の向こう側」という言葉で象徴しています。お、「幸せの向こう側」という言葉と繋がった……!

マルチヒロイン形式からの克服

 ……ちょっと話が逸れすぎました。
 なので結論を急ぐと、『WHITE ALBUM 2』は、マルチヒロイン形式のラブコメを乗り越えようとしていく作品の系譜にあたるということを言おうとしているのだと思います。


 これは、泉信行が『現代視覚文化研究 Vol.4』の2ページコラムで書かせていただいた、恋愛ゲーム論と繋がる話でもあり、そのコラムに書ききれなかった問題でもあります。


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  • 巻頭特集「オタクの10年」内の《「可愛いヤンデレ」を正ヒロインとして迎えるまで》が泉信行の記事


 そのコラムでは主に『ときめきメモリアル4』を例に挙げて、現在のギャルゲーに起こっている「認識の変化」を要約していました。
 それをもっと要約すれば、「いくらマルチエンド形式のゲームでも、“一番相性のいいヒロイン”や“報われないと救われないヒロイン”が一人でも存在すれば、そのヒロイン以外の結末はバッドエンドのように感じられる」という感覚が深まっている――。という話です。


 だから以前もブログに書いていますがときメモ4は「都子以外のヒロインは、主人公とのデートを遊び感覚で楽しんでいる」「デートで二股かけるくらいなら甲斐性で済む」という、フランクな恋愛文化をベースにすることで世界が成り立っているきらいがあります。
 もちろん、各ヒロインを最後まで攻略すると「本気の恋」に発展するのですが、そこまで行く手前なら、多分みんな「カッコイイ男の子とイイ雰囲気になれたな」という程度の思い出で卒業するんだろうな、と思える世界なんですね。ただ、その中で都子の報われなさだけがガチ。

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(余談ですが、ときメモ4の公式コミカライズが最近発表されました。そのヒロインは……隠しヒロインであるはずの大倉都子! さもありなん、と胸をなでおろすところですね。)


 こうした「結論」が求められるようになったのは00年代の後半になってからだと思います。それで『現代視覚文化研究』のコラムに書ききれなかった内容というのが、「こんな時代だからこそ、『WHITE ALBUM』や『君がいた季節』のような、ビターな三角関係モノのリメイク企画が通るのだろう」という視点でした。『WHITE ALBUM』はリメイク以前に、アニメ版も評価されてますしね。


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 また、『ラブプラス』のような「浮気しようにも同時に一人としか付き合えない」システムのゲームが大成功したのも、この問題と対応しているだろう……というのはコラムの方にも書いたことでした。

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三角関係ラブコメの「教科書」

 反対に、90年代後半から00年代前半までは、無邪気にハーレムものが描かれ、「結ばれなかった相手のその後」など考えもしないような作品が量産されつづけました。
 男性に向けたマルチヒロインの構造というのは、ほぼ必然的に「全てのヒロインにとって主人公が運命の恋人であり、それは報われるべき純愛である」という、決して一本道に集束しえないような平行世界を作り出します。自然と、そうなっていってしまうんですね。恋愛の快楽を追求していくと――。


 ホワルバ2が「幸せの向こう側」という地平に踏み込むためには、まずこのふざけた幻想をぶち壊す必要がある。


 ホワルバ2の「序章」では、その「運命の恋人が何人も同時存在しているという幻想」を打ち砕くことに力が注がれます。
 それもとことん、執拗に。それも一見、並列型のダブルヒロイン制に見せかけて、「マルチエンディングも可能な話なのかな?」と思わせておいて、その先入観を丁寧に上書きしていく。
 要するに片方のヒロインは、恋愛することで報われるような人間として描かれないんですね。一方で、もう片方のヒロインは「主人公と結ばれることでしか救えないような人間」としてみっちり(過去にまで遡って確かめるような懇切さで)描き込まれていく。
 いや、そんな当たり前の展開を「意外な展開」に感じるっていうのは、それだけ我々が「ヒロインのフラグを立てたら、相手は真剣な恋に落ちるのが当然だろう」みたいな物語を見慣れすぎていたからだと思うんですけどね。


 「主人公と結ばれないと報われないヒロイン」をそう何人も登場させることが何を意味するのか、という当たり前のことを、みんなまだ良く判っていないんですね。


 そのことを逆説で描いていたのが『Fate/stay night』でしょうか。「Heaven's Feel(誰も知らない)」と題された第三のルート。そこで「主人公と結ばれなければ救われないようなヒロイン」である桜が登場するにも関わらず、その桜と結ばれるルートが「本来なら選ばれえないはずの、誰も知らないルート」として提示されてしまう理不尽さを突きつけていたわけです。

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 だからホワルバ2の「closed chapter」が進むであろうルートは二通りあって、


「うっかりサブヒロインを選んでしまって、救われなかったメインヒロインのその後を、これでもかというやり切れなさで描く」ルートと、
「メインヒロインを選んで、サブヒロインのその後を安心できる形でちゃんと描ききる」ルート。


 特に、後者のルートに説得力を与えるための工夫に、スタッフはかなりの労力を費やしているんじゃないかな、と想像しているところです。
 前者の、いわゆる「トゥルーエンドの唯一性を強調する手法」には色々と前例が思い浮かぶのですが(ときメモ4もそのひとつですね)、後者のルートはまだあまり実践されていないルートではないか、という気がします。
 実際、(名前は伏せますが)メインヒロインじゃない方のヒロインは、かなりこう、性格が歪んだ……じゃないや、ええと、……複雑でやっかいな性格をしていて、まぁだから好きなキャラなんですけど、この子の物語をどう昇華するのか? というのが「closed chapter」に期待する大きなポイントになるはずです。




 このテキストも長くなってきたので、そろそろまとめに入りましょう。
 ぼくより先に感想を書いていた、海燕さんと敷居さんはホワルバ2をこんな風に評していました。
 ちなみに両人とも、一周目をクリアしただけのフルコンプしていない状態で書いてる臨時感想なのでご注意。

現状はハイレベルな"教科書通り" - WHITE ALBUM2 -introductory chapter- - 敷居の部屋

丸戸さんは起承転結のある物語を積み上げて積み上げて、経過も面白くラストもしっかり感動させる、まさに職人芸と言いたくなるようなシナリオを書く人です。(中略)
 だからこそ、丸戸×ホワイトアルバムは興味深いのです。(中略)僕は、わがままで。すごくよくできた面白い話を読んでいると、それが崩壊する瞬間も見たくなるんだよね。(中略)さすがに題材がホワイトアルバムなら、もしかしたらあの丸戸さんでも踏み外してくれるかもしれないじゃないですか。
プレイ前に僕が期待していたのはそのへん。


 そして、プレイ後の感想は、結論から言うと「やはり崩れなかった」ですね。

http://d.hatena.ne.jp/kaien/20100410/p1

ほんとにいい作品です。選択肢はなく、ただ読み進めていくだけの内容であるにもかかわらず、10時間弱のプレイのあいだ、全く退屈しなかった。敷居さんが書いている通り、教科書通りの秀作ですね。


 ただ、ここから先は愚痴になるんだけれど、あまりにも教科書通りにまとまっていると、何かしらの「崩し」がほしくなるのも事実なんですよね。この作品に教科書、つまり物語の定石を超えるものがあったかというと、まあ、なかったかな、と。


 いや、これ、文句つけているようだけれど、ほんとにすごくいい作品なんですよ。(中略)珠玉の恋愛物語がそこにあります。


 ただ、いってしまえば「それだけ」であることも事実なんですよね。ここらへん、ぼくはアンピヴァレントなものを抱えていて、ひとが「それだけだよね」というと反発したくなるんだけれど、ひとが褒めていると「それだけだよね」といいたくなるんですよね。我ながら天邪鬼だな、と思いますが、でもほんとにそういう心境。


 共通して「教科書的」という評価が与えられていますが、この「教科書的」というフレーズは良く考えてみた方がいい気がするんですね。


 確かにホワルバ2の「序章」は、読者にストレスを感じさせないよう良く配慮された、模範的なエンターテイメントの描かれ方をしています。
 でもこのシリーズって、全編通して見れば「無粋な領域に踏み込んだ上で、エンターテイメントのエロゲーに昇華してみせよう」という未踏地に進もうとしているわけです。それって参考になる「教科書」がどこかにあって、そのルールに則って描くことができる、という問題じゃないと思うんです。


 ほとんど参考になるものが無い状態でセオリーを組み上げていく必要がある。しかもそれは、従来の文脈から逸脱した「問題作」にすれば済む話ではなくて、あくまで最後には「ストレスを与えないような模範作」に仕立てあげる必要がある。


 むしろ、ホワルバ2は今から、次の時代のラブコメの「教科書」を作ろうとしているように思える。
 どんなジャンルでも言える話なのですが、一度「無粋」な領域に踏み込んで、結論のような所まで到達した作品があるからこそ、それを踏まえた次の作品は、安心して「粋」な終わり方を選べるようになる――。


 だから「教科書に則った」創作と、「教科書を仕立てあげる」創作は、どちらも結果的には「教科書的」と呼ばれるものかもしれませんが、その内実は違うものだったりします。
 王道に忠実な作品と、「王道を修正する」作品は、どちらも王道的なのでしょうが、その内実は異なる、とも言えるでしょうね。


 さぁ、そこまで考えた上で、『WHITE ALBUM2 -introductory chapter-』はとても教科書的な秀作です。「これからは、こうやるのか!」という模範を示すペースメーカーかもしれません。
 恋愛ものの描き方に関心のある人には、文句無くおすすめできます。


 あと、無印のホワルバが「大事な気持ちを黙っているから、三角関係がこじれる」という、ちょっとイライラするラブコメだったのに対して、2は「大事な気持ちを全て正直に伝えていくことで、三角関係がこじれる」という、なんかハラハラするラブコメになっていたり、時代の変化も色々象徴している作品なんだと思います。

*1:「粋」が生まれる瞬間まで永遠に到達しないよう、無限に時間を引き伸ばし続ける、という類いの「無粋さ」がこの逆説として存在します。が、今回は触れません。これはハーレムメーカー問題であるだけでなく、ゲーム論的には「ゲームオーバーが存在しない」MMORPGmixiアプリの問題にも接続できると思います