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前のエントリへの感想返し/『ときメモ4』の爆弾処理、単独ヒロインものについて

好き好き大好きっ - 2010年1月後半ログ

『ときメモ4』と『生徒会の七光』がゼロ年代最後尾のリリースであることの意味 【ピアノ・ファイア】

 ときメモの本質というのは、うさぎさんの言葉とは裏腹に、「爆弾処理なくして告白のカタルシスはありえねぇ」ってところに落ち着くと思うんですよ。都子のことをいかに愛していようと、一度攻略した後であれば、むしろ都子を覚醒させつつ他のヒロインも攻略しようと思うようになるのがプレイヤーの心理ではないかな、と。あるいは、爆弾処理もしつつなお都子を攻略するとか。

 だから都子の存在は、文中で言われている通り「ナンパゲーを終わらせている」とも言えるのですが、むしろそういう最終兵器っぷりを見せ付けることで、改めて「ナンパゲーとしての牙を取り戻せ!」と挑発する意図も持たされているのではないかなあ、と。キャラの重さと、キャラへの思いが、そのまんまゲームとしての負荷(プレイヤーの心理的プレッシャー含む)、すなわちやり応えに転用できている、と見ることもできますしね。


 昨日はYU-SHOWさんに感想いただいてたのですが、都子解放後は「爆弾を無視する」というより「爆弾処理が難しくなる(+うさぎさん退治)」というやり込み要素が高まって、むしろフォロー活動に熱が入る、っていうのは同感です。
 爆弾処理が「都子にとって不要なこと」だとしても、主人公にとっても不要かというとそうともかぎらないわけで。(小林にも電話で注意されますが)女の子へのフォローを維持したままゴールインしてみせる、という意地を通したくなるもんですしね。


 前のエントリの脚註にも書き足しましたが、「都子が浮気を望んでいない」=「傷付いた他の女の子をフォローしなくていい」ということにはならないので、都子ルートに入った後でも主人公=プレイヤーの倫理は試されることになるとも言えます。それが甲斐性というものなのか、むしろ誠実さなのかはわかりませんが。
 あと、なんだかんだで「他の女の子に声をかける」→「うさぎさんに襲われる」のパターンは一種のプレイっぽく思えなくもないので、八方美人に生きることが完全に否定されたわけでもないんだろうなと。


 ちなみに、ぼくが『4』を触った時の第一印象は、システムのフォーマットとしてすごく完成されているな、ということでした。しかも、このゲームシステムが「良くできたトレーディングカードゲームの基本ルール」だとすると、ヒロインひとりごとのゲーム設定が「1枚のカードテキスト」に対応していて、つまり「カードテキスト=ヒロインを入れ替えることでいくらでも違うゲームにすることができる」というくらいに完成された面白さを再発見できたわけです。
 いまでいうと「ドミニオン」のような面白さですね。

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  • ときメモ4は攻略本を買ってから、またやり込みプレイを再開したいところ


 そこまで洗練されたシステムを練り上げているにもかかわらず、都子のようなゲーム破壊キャラはいるわ、(都子以外にも)システム破りをするヒロインが多くて、スタッフらが「ゲームシステムのスキをついて破る遊び」に興じているような雰囲気に満ちています。
 システム面以外でも、サブヒロインの多くが「伝説の樹」というシンボルを無視して告白してくるのも象徴的ですね。


 システムのスキをついた遊びを入れる、というのはゲーム制作者からすれば本能的な欲求なのかもしれませんが(だから旧作にも遊び的な要素はある)、4は特にそれが心おきなくできている、という感じですね。
 完成しているからこそ、それを壊すことができている。思いつくかぎりのことを試している。


 なのでプレイ中はこんなことも呟いてました。


izumino ときメモスタッフはかなり明確な意識としてときメモというゲームを「終わらせている」と言えるはずです。これは庵野秀明みずからがヱヴァンゲリヲンを作ってしまう感覚と非常に近いと言えます(その終わらせた所から出てくる可能性も含めて) link
miyamo_7 その見方に沿ってみると、ときメモ3(3DのCGで作った異色作)の段階ではまだ「新しいときメモを作る」意識だったような気がしますね。 そしてコケた(^^;; RT @izumino ときメモスタッフはかなり明確な意識としてときメモというゲームを「終わらせている」と言えるはずです。 link
miyamo_7 3から4までに8年の開きがあることを考えると、@izuminoさんがときメモ4をヱヴァ新劇のような"終わらせるところからの新生"と捉えてるのはかなり正しい、ような気がする link
miyamo_7 いま改めてときメモ3Wiki読んでふりかえってるけど、「ここでいったん死んだ」感がすごい(笑) (Wikipedia - ときめきメモリアル3 〜約束のあの場所で〜の「評価」項目参照) link
izumino 単なる終わりにしても、ただコケて終わるのと、有終の美を飾って次に繋げるのとでは、雲泥の差がありますよね link


 都子というヒロインは、確かに「攻略を加熱させるキャラ」という側面もあるのですが、YU-SHOWさんが「ナンパゲーを終わらせているとも言える」と認めておられるのも確かで、これ以降の続編ではもう同じゲームを出せない。無邪気でいられない。
 いや、ナンパゲーそのものは出していいと思います。ただし、ときメモ4の自己言及性から生じた「自意識のツッコミ」はもう抜いて考えることができないわけで、これからは『ときメモ4』的なものを前提に新しいゲームを作っていく流れにいかざるをえないんだろうな、とそう考えています。

本当に「単独ヒロインは散発的なもの」か?

 あとついでに、八柾さんからも感想が届いてますけど、ブクマやコメント欄でツッコミ返していたこととは別に、以下の意見について。

そして「複数攻略ルートのあるギャルゲー」が限界をきたしているとまでは言えません。マルチエンディング方式は依然として効率のよいパッケージングです。ですから「単独ヒロイン制のいちゃラブ作品」こそ散発的な試みに終わっている。一対一のカップルものなら、漫画でやる方が効率がいいように思われます。


 「限界をきたしている」というのは商業的な意味ではなく、上述したような「自己言及的なツッコミから逃れられなくなってきた」という程度の意味です。
 時間が経つにつれ、どんどん言い逃れしづらくなってきた……新作を作りつづけることは可能だろうけど、なんらかの言い訳が必要になってきた。あるいは制作サイドがちゃんと言い訳をしたくなってきた。
 これは、大量殺人しまくりのアクション映画が「好きで殺してるわけじゃない」と言い訳をはじめたり、一回転して「開き直る」過程みたいなものでしょう。

izumino やはり多くのエンターテイメントというのは「潜在的な願望の具現化」からその世界が構築されていて、だからこそ客観的に見たときの歪みが生じるということなんだろうな。殺人しまくりの時代劇やマカロニウエスタンしかり link


 次に、「単独ヒロイン制のいちゃラブ作品」こそ散発的な試みに終わっているという発言は、いかにも「シナリオ重視の大作」のみを視野に入れているようなエロゲ観だと思います。
 「単独ヒロイン制のいちゃラブ作品」は需要と供給の関係がちゃんとあるジャンルで、その認識が根付いてきたのがここ数年のことなのも確かでしょう。


■ちょっと思いつく「単独ヒロイン制のいちゃラブ作品を中心に制作している」ブランド


 特にNornの「製品情報」を下にスクロールしていくと、新作になっていくほど単独ヒロインパッケージに一本化していくのがわかって面白いですね。*1
 こういった変化は、18禁同人ゲームとのボーダーレス化とか、色々な作用の結果だとは思いますが、「単独ヒロインのエロゲーを作っても不思議に思われない」土壌が広がってきたのは確かでしょう。
 けして『こいびとどうしですることぜんぶ』や『ラブプラス』が散発的で一過性のものだった、ということは意味しないでしょうね。
 いわゆる「大作」や、よりメジャーな作品がこのジャンルから出てくるかどうかはまた別の問題でしょう。

*1:しかし南国プリンセスシリーズと女神姉妹シリーズと武神・聖女神・お稲荷さまシリーズと魔界プリンセスシリーズは「単独ヒロインパッケージに見せかけたハーレムもの(平行世界もの)」だったりするので注意