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 移行後のはてなブログ:izumino’s note

『あしたのジョー』が不朽の名作なわけ

 海燕さんの記事から(文字の強調は筆者)。

http://d.hatena.ne.jp/kaien/20091014/p1

 で、昔の漫画のひきのばし方というのは、とりあえずこのA地点まで行って、それから蛇足をもうける、というものが多かったように思います。

 『北斗の拳』は典型的な例だけれど、十数巻の辺りでラオウとの決着を描いてしまうわけです。そのあとの連載はもう蛇足としかいいようがない代物ですが、とりあえずそこまではほぼ直線で進んでいるといえる。

 対して、いまのひきのばし連載はこのA地点までのルートをひたすらに冗長化する、というものが多いように思うんですね。

(中略)

 この両者のどちらがまだいいのか、というのは微妙なところだけれど、ぼくは『北斗の拳』パターンの方がましだと思う。

 なぜなら、このパターンではとにかくA地点に達するまでは全力疾走しているわけです。だから、「そこまでは名作」という作品になりえる可能性がある。


 『あしたのジョー』という作品はその点で見事な形になっていて、前半は「力石と戦う」というクライマックスを目指して駆けのぼり、力石戦の後も続く連載では、「力石の死」という初期には無かった重いモノを背負う物語として再スタートする、という構成になっています。
 それはもちろん、連載過程でのライブな結果なのですが(そもそも力石戦が最初のクライマックスとなったこと自体がライブの現象)、この二部構成によって『あしたのジョー』は、力石と戦うまでも面白いし、力石との戦いが済んだ後でも面白い――それどころか漫画史に残るクラスの名場面を生んで完結している――という、不朽の名作たりえているわけです。

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 ある目的地(クライマックス)を目指して全力で踏破し、それからはそのクライマックスが生んだ「遺産」を用いて新たに物語を始める。そうした「遺産」で駆動する物語には、深いテーマ性もあるし、複雑なドラマもある。
 そんなのが「連載漫画」の理想の形のひとつでしょう。


 そういう意味でぼくは『北斗の拳』も、『あしたのジョー』タイプの連載だったと思いますけどね。