情報の「圧縮術」と「省略術」は違うぞ
漫研のGiGiさんが、ブログ開設に伴い、「情報圧縮論」という概念の叙述を試みているようです。これは、発想自体はかなり以前からあったもので、ぼくの意見も取り入れられている理論です。
なぜコードギアスなのか。情報圧縮論のモデルケースとしてのコードギアス - 未来私考
ここで「情報圧縮」という言葉の響きから、意味を勘違いする人も多そうなので、正確なニュアンスが伝わるようにフォローしたいと思いますが……。
まずポイントとして重要なのは、「圧縮術」と「省略術」は違う、ということです。
このふたつの言葉を見比べただけで、どう違うかピンと来た人なら、ここから先を読まなくてもいいと思います。文字通りの違いですからね。
さて、GiGiさんの言葉の使い方と、ぼくの使い方は当然少し異なる所もあると思いますが、GiGiさんに向けたメッセージも込めて、ここでぼくの分け方を書いてみましょう。
圧縮術というのは……、「アーカイバ」を指すその名称通り、情報の「凍結」と「解凍」がセット(あるいは複合)になったテクニックを指します。
一方、省略術というのは……、「省いて略す」という字面通り、情報を「短く削る」だけのテクニックを指します。
たとえばはてなブックマークでコメントされている、id:umetenさんの
「情報圧縮論」というなら、富野作品がその端緒として認識されるべきではないかな?特に劇場版。
……という指摘は、微妙に「省略術」のテクニックと混同されている意見かもしれません(「劇場版」のどんな部分を指して言っているかによりますが)。