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「ゼロ年代の想像力」にかこつけて今更劇エヴァを語ってみる

 mixi日記からの転載です。
 宇野常寛の批評は、漫研のGiGiさんの勧めで追っかけ始めただけで、宇野氏の前歴もぼくは殆ど知らないのですが、『SFマガジン』だけは定点観測の対象にしています。
 以下はその定点観測のメモですが、たまたま気が向いて「今更劇場版エヴァンゲリオンのラストについて考えてみた」という雑文になっています。


 第1回の感想についてはこちらをご参照下さい。

ゼロ年代の想像力」第2回と劇エヴァのメモ

劇場版において、碇シンジは長い葛藤の末に、内面(自己愛)への引きこもりを捨て、互いに傷つけあうことを受け入れて他者と一緒に生きていくことを選択する。そして結末、碇シンジはヒロインのアスカとともに滅亡した世界にただふたり残される。だが、アスカはシンジを「キモチワルイ」と拒絶する。

 うーん、やっぱりエヴァは「アスカに拒絶される話」として解釈されてるんだな。
 でも同時に、「他者を受け入れる話」としても評されている。

エヴァ』劇場版における「他者(キモチワルイ)を受け入れる」という痛みを伴う前向きな態度

 言葉のアヤとはいえ、おや? とひっかかる部分だ。「拒絶される」んじゃなかったっけ。どっちなんだ?
 まぁ正確には「気持ち悪いと言って拒絶してくるような他者と生きていかなければならない世界を受け入れる話」だと書きたかったのだと思う。

これは、(中略)人は時には傷つけあいながらも他者に向き合って生きていくしかないのだ、というシビアだが前向きな現実認知に基づいた結末だったと言える。しかし、『エヴァ』の子供たち(ファンのオタクたち)の大半は、この結論を受け入れることができなかった。

 だから、こういう記述も見られる。
 しかし、これはシンジ視点の話であって、アスカ視点では「気持ち悪いと言いながらも相手を受け入れる話」だったりするのだ……ということは、第1回の感想の時に指摘した。


 「気持ち悪い」という台詞を額面通りに解釈してしまうと、シンジの「いつもみたいに僕をバカにしてよ」という懇願の台詞や、アスカがシンジの顔を優しくなでる演出の意味が無くなってしまう。


 ウチの周囲では、あの劇エヴァのラストは「アスカがシンジの愛(第26話のサブタイトルは"I NEED YOU"なのだ)を受け入れる話」として見解が一致していて、まぁそこから先は「あの後あの二人はラブラブに過ごすんじゃよ!」という楽観的な意見もあれば(笑)、「男と女なんか別に相性が悪くても一緒になればそこそこ上手くやってくもんだよ」という世間知的でドライな意見に落ち着くこともある。


 それでも大筋の共通見解はブレない。ちゃんと読めばそういう話なんだと納得はできるからだ(自分の周囲のエヴァファンの間では、ですが)。

作品解釈はズレていくもの

 ただ、大半のオタクが「拒絶される話」としてエヴァを理解していたであろうことは歴史上の「事実」と言えるので、宇野氏が

エヴァ』の子供たち(ファンのオタクたち)の大半は、この結論を受け入れることができなかった。

……という風に「歴史認識」することは間違いではないし、批判にあたらない、とも言える。
 ただ、ここで問題となるのは、「ファンの大半が感じたであろう結論(=アスカに拒絶される話)」だけが「結論」と称され、「実際に作品から読み取れるであろう解釈(=アスカに受け入れられる話)」が無視されている、ということ。


 「物語認識」が、明らかに分裂してるんだね。
 なんでこんな分裂が起こるんだろう? ということを考えること自体が、意味のあることかもしれない。


 最近に限らず、例えばメーテルリンクの『青い鳥』なんかも、オチに込められたメッセージを勘違いされて人々に記憶されている物語だ。
 ちゃんと読めば意外なテーマを持っているのだが、それをみんな見逃している……というのは現代に限らず、昔からあるのだろう。
 勘違いされたまま、「それが正しいということになってしまった」物語や詩、名句の類はいくらでもある(「健全な精神は健全な肉体に宿れかし」とか)。


 『青い鳥』の本当のテーマは「ホームにこそ幸せがある」という灯台もと暗し的なメッセージではなく、「青い鳥を探そうとして旅すること自体に価値がある」なのだそうなのだけど、「世間の評判」と「実際の内容」は常に食い違ってくるものだ。

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「見えない心」の描き方

 劇エヴァの話に戻す。


 宇野氏は、ヒロインに拒絶されたというトラウマの反動として、オタクは「無条件に自分を愛してくれる都合のいいヒロイン」を量産した、それこそがセカイ系である、と大雑把に歴史をまとめている。


 しかし良く考えてみれば、「気持ち悪いと言いながらもシンジと付き合ってくれるアスカ」も充分に「都合のいいヒロイン」なんだよね。
 シンジが特にカッコいいことをしてアスカを惚れさせるわけでもなし、男の立場としては「こんな男でもホントにいいのか」などと聞きたくなるくらいの素晴らしいヒロインだ(と、思う)。


 もうちょっと考えを沈めてみる。


 ……。


 エヴァはアスカ視点で見ると「シンジを受け入れる話」だけど、観客が戸惑うのは、あのラストシーンにおいてアスカの内面が描かれないまま幕を閉じることだろう。


 アスカの心は読めない。


 人によってはツンデレにも見えるが、人によっては「ATフィールドを張ったリアル女の象徴」にしか見えないかもしれない。


 この「アスカの描き方」は見事に、現代において過剰に発達した「ヒロインの心が読める」タイプの萌えエンターテインメントと対称的な作りになっている。
 要するに、アスカは「心を読めないツンデレ」として、わざとそう描かれていたとも言える。


 えーと、確か涼宮ハルヒも最初は「心の読めないヒロイン」だったと伝え聞くのですが、最近だと、スクランの沢近さんが見事に「心が読めないアスカ」の系譜を受け継ぐヒロインになっている。
 沢近さんは、内面を吐露する時はとことんするけど、心が読めない時はとことん読めないから、読者が想像して補う必要がある。


 いわゆるラブコメというのは、(よっぽどのミステリアス系のキャラは別として)ヒロインの内面がスケスケになっていることが必要で、おそらく即物的な「萌え」を求める消費者であるほど、そういうスケスケ描写の不足によって不満足感を得る可能性が高い。

 しかし、基本ディスコミュニケーションをテーマにしているスクランでは、「他者のわからない所は想像するしかない」という「わかろうとする努力」を読者にも求めるようなつくりになっている。

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「人と人はわかりあえるか問題」と付き合ってきたアニメの歴史

 もうちょっとアニメの歴史を遡ってみると、ガンダムニュータイプ理論によって「進化すれば人類はわかりあえる」というSF的ビジョンを打ち出した。


 そこから「やっぱニュータイプになるのはムリっぽいです」というアンチテーゼがあって、それでも今川泰宏などは『機動武闘伝Gガンダム』で「拳を交えればわかりあえる」というアンサーを返したりした後、エヴァの時代が来る。

(余談ながら、小林尽ガンダム世代のようなので「人と人はわかりあえるか」というテーマは思想的に植え付けられている部分なんだと思う。)


 忘れちゃいけないのは、劇エヴァのラストは「人類補完計画」という、「人類がみんな溶け合ってひとつになる計画」、つまり「ATフィールドが無くなってみんなの心が読めるようになる」ニュータイプへの進化を否定した後の世界で演じられるということだ。


 シンジはニュータイプではないので、「心が読めない他者」であるアスカと出会わなければならない。


 心の読めないツンデレであるアスカに対して、シンジ視点でできることは何か? というと、「自分が本当に受け入れられたのかどうか、相手を信じて愛し返せるかどうか」、じゃないだろうか。


 そして劇エヴァはその答えを、観客に丸投げしている。


 アスカの一言で幕は下り、「その後シンジがどうしたのか?」は一切描かれない。
 だから観客自身が「アスカはどうして自分の顔をなでてくれたのか」を考え、そうして辿り着いた「答え」は信じていいものなのかどうか、自ら判断することを求めている。
 そういう「解釈と判断」の過程までをひっくるめて、「自分ではない他者との接触」が表現されているのかもしれない。


 そしてこの場合の「他者」は、「自分を拒絶する他者」なんていう、ステレオタイプなシビアさを持った「他者」ではない。


 例えば、「口では好きと言ってくれるんだけど、本当に自分を受け入れてくれるのかどうかを見極めようがない他者」なんだろう。

 あと色々、劇エヴァの裏話がらみ(ラストの台詞が「気持ち悪い」に決まった経緯とか)で書けることもあるのですが、今日はここらへんで。


 ところで宇野氏の批評はこの後「多視点」という概念に触れてくる筈なのですが、それがどれほど「新しい」ものなのか、その開陳には期待しています。どうも予定では二ヶ月くらい待たされそうですが……。

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