今週のネギまとスクランが期待と予想を裏切らなかったのこと
今、早朝2時くらいなんですが、日付が変わったので、今週のマガジンの感想を書きます。ネタバレ注意。
『魔法先生ネギま!』157時間目
ネギま面白い、素晴らしいピーク感。*1
以下、ちょっとチェックポイント多めに書き連ねてみます。
1.
というか、こういう天才設定の使い方って、ネギまで初めて見ましたよ。それに、今更9巻の台詞(五月の言葉「何かを恨んだり逃げたりして得た力でも〜」)を持ってくるあたりも渋すぎ。この言葉って、「それがわずかな勇気だ」に次いで作品の軸を支える価値観になっているような感触もありますし。
主人公をいきなりスケール勝ちさせたりせずに、ちゃんと精神的に一度「追い込む」のも丁寧でいいですね。
- 追記
とりあえず夕映の意見についてはペトロニウスさんの予想(予想というよりは共感というか)とほぼ一致していて、「その意見だけじゃダメだ」、とネギが返す所まで期待通りに展開してくれてます。
2.
カシオペア(航時機)を利用した瞬間移動ワザの種明かしがやっと出ました。
けど、これって地味に「歴史改変そのもの」を起こしているワザなんですよね。わかります?
SF的な話なんですが、この「航時機使い」が
「一瞬先の未来に跳んで、それから現在へ戻る」
ということは、
「現在の一瞬後には、その航時機使いが出現する筈だ」
……と考えてしまいそうな所なんですが、でもその出現の様子が全く無い(超やネギが二人以上に増えたりしない)ってことは、
「航時機使いが跳んでいった筈の、一瞬先の未来の時空間」
……がケシ飛ばされてるわけですよね、「現在→未来→現在」という往復――いわば「バック・トゥ・ナウ」を行うことによって。
つまり、カシオペアによる瞬間移動を行うたんびに、小さなレベルでの歴史改変(=ありえた未来の消去)を繰り返してることになるんですよね、理論上は。
これが、ネギま世界における歴史改変の条件を示している可能性もあります。そうすると、いずみのが単行本16巻が出た時に書いた「予想」と合致することにもなりそうです。
赤松健『魔法先生ネギま!』16巻 - ピアノ・ファイア
この世界の歴史改変は「一度タイムマシンで未来に行って、戻ってきた」時だけに行えるモノ、と解釈すると理屈は通りますね(ただ過去に戻るだけでは改変できない)。そうすると超の「1988年生まれ」というプロフィールも辻褄が合うという……。
超の瞬間移動の原理も、これで説明付けることもできると思います。
ややこしい原理なので、便宜的にこの仕組みを「バック・トゥ・ナウ効果」、「バック・トゥ・ナウ仮説」とでも呼んでおきましょうか。
あと「1988年生まれ」の件についてはまだなんとも言えませんが、だとするとネギを「ご先祖様」と呼んでいるのは、虚言なのか、別の意味があるのか、というのもこの先のお楽しみということで。
3.
ネギが「クラスメイトと別れたくない」という個人的動機を「ワガママ」と認識しているあたりも、ここの感想で言及した通りでした。
4.
演出的に指摘したいのが、下から照らす形の、ライティングの効果的な使い方。これは実写畑出身の赤松さんらしいセンスかな、という気も。
「飛行船上→回想シーン入る→飛行船上に戻る」の場面転換が、ライティング込みの演出的変化によって浮き立たせられていることにも注目。
5.
ラストのヒキですが、まぁこれはちょっとひねったミスリード演出と見ていいでしょうね(ここで予想してもつまらないので、あえて黙っておきます)。
来週は、「一度追いつめられた主人公」の反撃劇が期待できそうです。
『School Rumble』♯202
こちらもまたなんか、ウチが以前(5週前の時点)書いてた通りの展開に。
↓で指摘していた「沢近の播磨化」がホント顕著な形でラスト1コマに表れていた*2んですが……、
今のスクランの沢近編に追記 - ピアノ・ファイア
あれが面白くて、沢近もいつにまして可愛いってのは、「勘違い主人公」として耐用年数を超えてすり切れてきてしまった播磨に代わって、「沢近が播磨の立ち位置に入った」からこそ生まれるという、構造的なものですね。
「(烏丸)←天満←播磨←沢近」という片想いの連鎖があって、それが順繰りに上昇(役割交代)していけば、こういう形での完成を見る、と。
(中略)沢近が「播磨と同じこと(=過剰なボケと一人相撲の恋愛)」をやると、(沢近は播磨と違って女の子だから)ああいうドキドキ恋愛ものになるってことですね。播磨の場合は、熱血恋愛ものになってたのに対して。
(中略)
この形は構造的に当初から予期されていたことで、ただし賞味期限をそれほど延ばせないネタでもあるから、連載ペースが牛歩戦術を取っていた時期(つまりアニメやってた頃)は使えない技でもあったと。
……この構造を読み間違えてなかったことを確認。よしよし。
まぁ、ここまで構造通りに作品を展開させられる(しかもあまり深く考えないまま)小林尽も侮れないのですが、いやホント。
更に付け加えるなら、シリーズ序盤かつ男視点だったお陰で「ギャグとして読めていた」描写が、シリーズ終盤かつ女視点なので「ギャグとして読めない」という質的変化も見逃せない所でしょう。というか沢近どうなるんでしょうね……。