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 移行後のはてなブログ:izumino’s note

日記

 先日、友人(一応商業活動している人)と夜のモスバーガーで時間を潰しながら


「好きなものを作る」のと「楽しんで作る」は違う


という話をしました。


 「〜が好き!」という感情は、(同じ人間が感じることなのだから)必ずある種の「普遍性」を持つが、「作ってて楽しい」というのは作る側の人間(というか本人)の体験論的な感情でしかなく、「普遍性」を持たない、という話。
 宇宙人でもない限り、必ずどこかに(確率の問題とはいえ)共通するエッセンスがあるだろう、だから「好きだから作る」から出発すれば、同じように好きになってくれる人を見つけ出すことはできるだろう、ということ。


 創作の基本ってのは「通じる人間が一人でもいりゃあいい」の筈で、以前書いた麻雀の話にも繋がる*1んですけど、「自分の好きなものを追求する」ということは、「他人にとっても好きなものを追求する」ことにほぼ近い、と考えたい所です(人に通じさせる方法はそれ一つだけじゃないですが)。
 その好みが一人相手に共通するものなのか、千人相手なのか、百万人相手なのかは全然別の話として。*2


 「作ってて楽しい」、っていうのは、色川武大は「遊び代」っていう言葉で説明してましたね。仕事場は遊び場じゃないから、楽しもうとしたら遊び代がかかる。
 でも楽しめないとストレスが溜まって作業のノリも悪くなるし、たまに「俺なんでこんなことやってんだろう?」とか思って「好き」っていう感情が揺らぎますし、作り手にとって栄養補給か、ご褒美みたいなもんかもしれませんね「楽しい」っていうのは。


 あと変な話ですけど、作るのが下手な人ほど「楽しい」が必要かもしれませんね。
 例えばぼくは(画力の基礎が無いから)絵を完成させること自体は面倒で、あんまり楽しくないんで、なるたけ「楽して楽しむ」つもりで描かないとやってられない所があります(だからラフイラストが多い)。これは、絵描きとしてはハンデなんでしょうね。愛好者(アマチュア)って言葉とぴったり合致する性質です。
 逆に文章は得意分野(もともと楽しい)だから、ここは手を抜きたくないぞって時は、進んで苦労して、妥協もして、完成させようとしますね。そういうのは作った後で愛着も湧きますし、楽しんで書いたものだと「あぁ、手ェ抜いてるなぁ俺」って後で良く思います。*3
 苦労に苦労を重ねると、後からランナーズハイみたいになって楽しくなるっていう要素もあるでしょう。これは「ご褒美」ですね。


 だから、プロの漫画家でも小説家でも「自分は仕事自体が好きじゃない」とか良く言いますけど、それはもともと楽しめてる(だから妥協もできる)か、よっぽど上手いのか、後から得られる「ご褒美」の存在を知ってるっていう証拠でしょうね。下手な人間は、ただでさえ楽しくないことなんか続けてられませんからね。
 まぁ「もとからがムチャクチャ上手すぎて、苦労を必要としないか、苦労自体が楽しい」っていうタイプの作家には喩えが当て嵌まりませんが。そういう人達は、化け物。

*1:誤解してる人が多そうですが、あの喩えの中での「役を和了る」は「ヒットする」の意味ではなくて、「通じさせる」に過ぎませんね。ヒットするかどうかは「デカい手をツモれるか」「連荘できるかどうか」に喩えていいと思います。他家を直撃して出和了するのは、「身近な人(友達とか編集者とか)を一人喜ばせる」に近いんじゃないでしょうか

*2:同人とかは無心で作ってもいいんですけど、商業作品だと「広く好まれるもの」を目指す必要がありますから、「自分の好きなものの中からメジャーなエッセンスを取り出す」か「自分からメジャーなものを好きになってみる」という選出過程が間に挟まるでしょうね

*3:それはそれでハメを外した良さがあるかもしれませんが