HOME : リクィド・ファイア
 移行後のはてなブログ:izumino’s note

交響詩篇エウレカセブンってどんなアニメ

エウレカセブンは多くの「引用」により世界観を広げようと試みていることはだれもが認めてくれるだろう。エウレカセブンに埋め込まれたキーワードを手がかりにアニメ以外の存在があることをしめしているのかもしれない。


だが、それは成功しているのか。

 エウレカセブンのコンセプトって「引用なんて飾りですよ飾り!」だと思ってたんですが違ってたんでしょうか。作り手側のコメントに触れていないので実際の所は知りませんが。
 広げているのは客層であって、別に世界観じゃないような……。

情報を集めリスト化すること自体に快楽を感じるのは所詮ごく一部の人間でしかない。何より圧倒的な情報量を持って描こうとするアニメの内容もあまりに凡庸ではないか。

 とりあえずぼくの周囲の人間は「情報集め」や「引用元探し」を一切せずにエウレカセブンを楽しんでる人達ばっかですね。その点で「アニメ観て情報集めなんかしようとする視聴者は所詮ごく一部の人間でしかない」のは全然正しい意見かと。

関心を外へ外へと誘導すればするほど、周辺情報を集約すればするほど肝心の物語の中心は見えなくなる。引用のための引用により物語の内容は有機的なつながりを失いエピソードとエピソードの結びつきは乏しくなるし、瑣末な情報量の多さでどこに焦点をしぼればいいのか混乱する。

 ですから、これはむしろ「情報集めに奔走するようなごく一部の人間」ほど「肝心の物語の中心は見えなくなる」だろうし「どこに焦点をしぼればいいのか混乱する」だろう、という意味に置き換えて解釈していい気もします。
 本編は割に直球かつ王道の快楽原則に則ったストーリーラインなので、引用とか気にしないで観ている人からすれば単なる「楽しい冒険モノ」であって、情報量にしても、世界観の説明に必要な設定はチョボチョボと小出しにされてるから謎めいているだけで、全体像は少ない、というか、結構どうでもいい部類の情報なんでしょう。
 件の引用というのも、知らない人が見たらサッパリわからんような「装飾的引用(含意のある意図的引用ではない)」ばかりなので、引用自体が「視聴者の関心を外へ誘導している」というよりも、引用を出口にして「自発的に外へ向かおうとしている一部の人間が存在している」と捉えた方が正確なのではないでしょうか。


 まぁつまり(それがホントかどうかはともかく)「“エウレカセブン”は“エロティカ・セブン”の引用らしい」というタイトルの時点で「引用に意味なんて無い!」というスタッフのメッセージに気付くべきなんだと思います(無茶)。