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 移行後のはてなブログ:izumino’s note

色川武大と麻雀と赤松健

izumino2005-11-29

 えーと、色川武大の『うらおもて人生録』は非常に良いエッセイでした。人によっては一生モノの財産になりうる本だと思う。特にフリーで生きていくアーティストや、自分の才能を頼りにして生きるタイプの人(プロアマ問わず)における必読書ではないでしょうか。かなり感性寄りのロジックで書かれていて、麻雀の知識が無いと理解できないだろうなっていう部分も多々あって、少し人を選ぶかもしれませんが。


 ぼくは、生きる指針として、大元に老荘があって、美輪明宏の教え、というのがベースで(ここまでは「信仰」のようなものだと言ってもいいですね)、そこに赤松健が入ってきて、なんとか生きてるんですけど、色川武大の書いていることは、その三者全てとリンクする内容になっていて、個人的には「欠けていたピースにバシッとハマった」ような感覚を得ることができました。
 要するに、無為自然や、正負の法則と同じことを色川武大は言っている。美輪明宏色川武大は世代も共通するし、裏世界をくぐりぬいて、齢を重ねた人物が辿り着く境地や真理っていうのは大体似てくるのかもしれない。
 それに、赤松さんがどのくらい色川武大に影響受けているのかは知りませんが(インタビューの前に読んでいれば、質問内容に加えてたのに……)、色川武大阿佐田哲也)のファンらしいし、本人も結構な麻雀好きですから、『うらおもて人生録』に書かれていることと似たような経験則を身に付けているのかもしれませんね。感性の優れた人が、麻雀やることで。


 これはぼくの妄想なんですが、赤松さんが創作活動を「一種のゲーム」と喩えるのは、コンピュータゲームのことではなくて、麻雀なんだと考えると凄く理解しやすいんですよね。
 赤松さんが言う「自分がやりたいことよりも、他人を重視する」というのはギャンブル全般の常識であって、「自分のやりたいことだけやる」っていうのは、麻雀じゃあ、いわゆる「自分の役作りだけに夢中になる」ってヤツであって、それはドシロウトか、子供の打ち方ですからね。麻雀は、自分の手じゃなくて、河(他家の捨て牌)を読むもんであると。もっと言えば、山の中身まで読むのが麻雀なんですよ、と。いくら高い手をテンパイしても、アガリ牌が来なきゃクズ手だっていう、考え方ですね。


 創作とギャンブルを同一視すると、怒る人も居るかもしれませんが、他人を重視しなきゃいけないっていう点だけは、凄く近いような気がしましたね(んでそんな中で、天和和了ったり、ドラ9個抱えてる人が居たり、イカサマやったりするのが居るんだなあって考えるとちょっと面白いですよね)。