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 移行後のはてなブログ:izumino’s note

赤松健論と「入口論」

 先日、赤松健論の解説をしていただいたみやもさんの日記の中に以下のようなくだりがあります。

 女の子がいっぱい出てくる漫画でも、なぜか読みやすい作品・読みにくい作品があるなあ……とおぼろげにでも感じた事のあるヒトにとって、ひとつの得心を与えてくれる内容です。


 そういえばシスプリなども「お兄ちゃん」という窓口があったので、"萌え"初心者の男を引っ張り込むことが可能だった向きがありますよね。あれでいきなり妹そのものへの移入を要求されてたら、それこそ『苺ましまろ』と同じ意味で敷居の高いタイトルになっていたのだろうと *2 。だからメディアワークスの作品史でいえば、シスプリが先で苺ましまろが後発なのは受け手の慣れ具合の時期的にみて必然であったのでしょう。


*2 : たぶん僕がシスプリの姉妹レズ系エロ同人を読めない理由もそのへんにある(^^;;

 みやもさんは、ぼくと直接ディスカッションする機会の多い人なのですが、ここで言われている「ひとつの得心」というのは実は赤松健論とはあまり関係の無い、ぼくが普段から考えている別のトピックから来たものだったりします。みやもさんはその内容を聞いて知っているから、こういう読み取り方が可能になるわけですが、普通の人が<赤松理論入門1>を読んでも多分、みやもさんと同じような読み取り方はしないでしょう、きっと。
 ぼくは今年の一月あたりから、「入口論」という、最近の萌えコンテンツ産業に関わる考察を温めていて、まとめて発表するタイミングを量っていました。そろそろ公表に移す価値もあるかな、と考えています。