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『ふたりはプリキュア』第45話「歌えさくら組!合唱は勇気を乗せて」

 さて、何から書けばいいだろう。
 なぎさとほのかのクラスが合唱コンクールの代表に選ばれる。全体指揮担当の矢部千秋(ショート眼鏡)は万端を期すべく課題曲を選び直す。出会った曲がこの番組のEDテーマである“ゲッチュウ!らぶらぶぅ?!”で、しかしまぁこの曲がプリキュアの世界の中でどういう位置にある曲なのかは良く解らない(普通のJpopなのかなあ?)。完璧主義の千秋は編曲の練り直しに苦悩するあまり引きこもり、そこになぎさとほのかが救いの手を差し伸べる。歌は完成しなぎさとほのかはソロパートを任されるが、本番前にドツクゾーンに邪魔されてやっつけてコンクールに優勝して終わり。


 ぼくはこの「作品の外側にある存在がフィクションの内部に取り込まれる」というクラインの壷(大袈裟)的構造が大好きなんですがどうでしょう。
 こう、「ジャンプ漫画の登場人物が何故かジャンプを読んでいる図」*1に近いというか、なんというか。「『ふたりはプリキュア』の世界の中では『ふたりはプリキュア』というアニメは放送されていないと思われるにも関わらず、主題歌はCD屋に売られている」っていう不思議な状況になってるんですよね。その現実とフィクションがない交ぜになっている感覚がなんかいい。じゃあ、あっちの世界の日曜8時半は何が放送されてるんだ? とか。
 まぁそういうメタ視点を抜きにしても。主人公達は、よもや「自分達の選んだ曲」が「自分達のためだけに作られた曲」だとは知らずに歌うわけですが、実際にその歌は彼女達の心に訴えかけるものがあり、また当然、我々視聴者の心にも響いてくると。なにせ、作品のメインテーマを主人公達が(それと気付かず)歌い上げるのだから。
 アニソンの良さ、というのはいかに作品のテーマと歌のメッセージが一致しているかによるわけですが、今回のようなアプローチで強引に一致させることもできるんですね。んでこれ、このアニメとこの歌じゃなきゃできない組み合わせ(作品のテーマを表した歌で、なおかつ歌詞に番組名が入ってたら使えない)なんだよなあとちょっと感動してしまった次第です。「合唱コンクール話」の素材として「ありもん」の曲を使っただけ、というのとは訳が違います。


 そして主題歌を意識して聴き直すことによって、この作品のテーマを再確認しながらバトルを観ることができました。
 色んな要素はあるんでしょうけど、「女児向けキッズアニメ」(コアターゲットは4〜9才の低年齢女児)であるプリキュアの最も基本的なテーマは「女の子がよくわかんないんだけど凄いパワーを発揮して大人(or 男の子)に勝つ」ことなんだなあと実感しました(ドツクゾーンが「大人」や「男の子」の象徴であることはダークファイブ編の時に散々考察されてきた通り)。
 それは身も蓋も無い言い方をすれば以前書いた少年漫画論(id:izumino:20041223)に繋がってきそうなわけでして、つまり「(本来は大人に絶対勝てない)子供が大人にケンカで勝ちたい」という夢を具現化したのが『キン肉マン』などの低年齢層向け少年漫画であったと。ヒロインが魔法ではなく肉弾で戦う『ふたりはプリキュア』は、「(普通ケンカしちゃいけない)女の子もケンカして男の子に勝ちたい」という夢を叶えるアニメなのだろうということです。キン肉マンが「火事場のクソ力」とか「友情パワー」っていう「良くわかんない見えない力」で勝利するのと殆ど同じことやってるわけですな、プリキュアは。レインボーブレスによるパワーアップとか手を繋いで必殺技、とかはまさにそのまんま。
 ただ、少年漫画(男の子)の場合は「ただ勝ちたい」から「強くなる」のに対して、プリキュア(女の子)の場合は「女の子の生活を守りたい」から「仕方なく勝ちたい」という違いがあると。だから形式の上では少年漫画なんですけど、動機の部分は女の子の感性だから、監督を初めとする男性スタッフに加えて、影山由美さんや成田良美さんのような女性ライターが参加してようやくお話が成立するのだろうと思います(1クール目あたりはそこらへんが弱かった)。
 あと、プリキュアはシナリオの整合性やらリアリティやらが弱いと指摘されることが多いんですが、それは視聴者が「どれみ→ナージャ」というリアルな演出アニメの流れで観てしまっているからで、「プリキュアは『キン肉マン』みたいなもんだ」と思って観れば気にならんよな……と悟ったのも今回を観てからだったりします。ベローネ学園って、ラクロスだろうが科学部のコンテストだろうが何故か優勝しちゃう辺りはご都合主義もいいとこなんですが、これも「夢の具現化」なんだろうと納得できるわけです。遅刻したなぎさ達を誰も責めないのも、クラスメイトに信頼されていたいという一種の夢だから。


 それでもツッコみたくなる所があるとすれば、なぎさ達がドツクゾーンの事情をちっとも聞いてやろうとしない所ですかね。キリヤ編で「敵も死活問題があって戦ってるんだ」っていうことは伝わっていた筈……なのにあの無視っぷりは酷い(笑)。
 良かった所を更に付け加えるなら、なぎさとほのかが千秋を助けに行く所。今まで二人の間だけで閉じがちだった友情が第三者にも開かれるようになっているのは純粋に好ましい。これはミップル・メップルの間に第三者のポルンが介入してきたことによる変化に裏打ちされているようにも見えます。それでようやっとなぎさ達は自分達以外の存在に目を向ける余裕が出来たから。で、レインボーブレスも、ポルンという「第三者」が関わることで装着されるという、それでちゃんとバトルと日常のテーマが符号しているわけですね。


 あー久しぶりに長々と書いたな。いや、今回不評の感想を良くみかけたので少し気張ってみました。

*1:一昔前の漫画だと、作中の人物が「先週号を読み返して自分が出てる漫画のあらすじを確認する」ってギャグを良くやってましたが、そういうのとはちょっと違う