HOME : リクィド・ファイア
 移行後のはてなブログ:izumino’s note

第15話に追記

 一息で結論から言ってしまえば「愛情には色んな形もあるけど、どれも愛としては同じであって、ひとつの愛なんだよ」というテーマなんだろうなあと思う。
 元々『ふたりはプリキュア』は、メップル・ミップル間の異性的(夫婦的)愛情と、プリキュア同士の同性間の愛情が「混同」される描写が繰り返されていて(特に第5話。参考→id:izumino:20040308#p2)、それがこの作品のテーマのひとつを形作っていると思います。
 それを今回は、ほのか自身が意識的に反芻してますね(ここで「愛の力」という言葉が用いられる)。この回でメップルとミップルの食事シーンが夫婦然として仲睦まじく描かれているのも、この「混同」を踏まえれば丁寧な演出だと言えるでしょう。
 そしてそのようにして描かれる「愛」の中へ、今回のシナリオは更に「家族愛」をも投げ込んでしまう。伝説における武者達にとって「一番大切なもの」は恋人としての異性なのですけど、そこに家族愛が重ねられます。父・岳にとって「一番大切なもの」は娘・なぎさなんですね。その所為か、ラストでなぎさは、父親相手とは思えないほど過剰な甘え方をして描かれます。なぎさの頭の中で、恋人を守って討ち死にする武者達と自分を心配してくれる父親は等式で結ばれるから。
 id:bluefieldさんも感想で「これを恋愛譚ではなく家族譚にしてなぎさと父のエピソードに絡めてみせたら」と、異性愛と家族愛がごっちゃに描かれていることを指摘していて、すぎたさんも「素材が混ぜ損ね」で「いずれも個別に浮いてしまい纏まりの見えない」と、やはり「ごっちゃ」な部分を気にかけているようです。しかし逆に、(その個別の種類の愛情に対して)意図的な「混同」を何度も繰り返して描くのがスタッフの狙いなのではないか、とぼくは読むわけです。どうでしょうか。


 まぁ、こういうユニセックス近親姦的な「愛」がどういう意味を持ってどういう方向に向かうのかはまだ良く解らない……のですが。とりあえず、(思春期であろう)なぎさが疑似恋愛的に同級生や弟や父とイチャイチャしてる様子は観ていて楽しいと。*1 

*1:ともすればどろどろと閉塞した方向に向かいそうなネタだけれども、むしろそういうのは誰か同人でやってほしいな。……って、あー、上田大王セラムン本(「OLIVE」)を思い出しましたよ