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 移行後のはてなブログ:izumino’s note

性倒錯と萌え

 「萌え」は「オタクが特別に変化させた新しい感情」なのか? そうは思いません。
 ぼくは以前から、萌えは性倒錯のシミュラークルであり、昔から存在してた感情である、と考えています。性倒錯の模倣であるとか、軽症化であると言っても構いません。性倒錯にはフェティシズムを含めてもいいと思います。*1
 つまり、「精神的/性的に正常な人間が、異常な性行為(性対象)を模した感覚を得てしまうこと」が、ぼくの萌えを考える上でのガイドラインになります。
 模するのはあくまでうわべだけで、実際に得られる感覚は正常なものです。ですから、自分の中にある一番性倒錯(異常性愛)に近い部分……正常な性愛感情や、より単純に「かわいい」「好き」といった感覚を用いて「萌え」を実感することになります。
 また性倒錯的な部分は正常な人でも潜在的に持っているものですから、本人が各症状の存在を知らなくてもシミュラークルは発生するでしょう(そこらへんは割と一般的な話で、「〜のケがある」というレベルの問題です)。


 例えば生きた人間ではない、二次元のキャラクターに萌えることは人形愛(ピュグマリオン・コンプレックス)等のシミュラークルとして考えられます。
 真性ロリコンではないロリオタが存在するのは、ロリコンを模倣しているからです。
 妹萌え姉萌えなどの近親愛などは言うに及びません。それらの模倣です。眼鏡やメイド服などのアイテム、性格、行動、設定、シチュエーション等に「萌え」を感じるのも、それぞれに対するフェティシズム……を更にシミュラークル化したものとして考えられます。
 なぜ自分の手が届かない世界の住人に愛を感じる(それも、そのキャラが恋人といちゃいちゃしてたり、陵辱されていたりしても萌えることができる)かといえば、それは窃視症の軽症化であるといえます。好きなキャラクターの萌え画像やエロ画像を描く(集める)ということは、窃視症の人が盗撮をする(写真を集める)行為に近い、とも。


 肝心なのは、「これらはシミュラークルであって、性倒錯そのものではなく、正常な感覚である」ということです。体質的・病理的なものではありませんから、どちらかといえば精神的・感情的な判断が優先されます(ただ勃起したからといって、それを「萌え」と結びつけようとしない男性は多いでしょう)。
 性倒錯といえば「○○でしか興奮できない」といった、対象に束縛されたイメージがありますが、萌えは対象に束縛されることは無く、比較的自由です。たまに「○○にしか萌えない!」と豪語する猛者も居ますが、彼らの多くは、そうして自分を追いつめることで深い愛情を表現しているのだと思います。


 特に「窃視症」は正常な人でもある程度は持っている傾向ですから、誰でもこの方法で萌えることができます。漫画を読んだり、ギャルゲーを遊ぶことは全てそうだとも言えます。基本的にはポルノと同じですね。得られるものが性的快楽だけでなく、「かわいい」や「好き」であるという違いがあるだけで。
 こういう言い方でそれぞれのファンの気分を害するつもりはないんですが、男性の百合萌えや女性のボーイズラブ萌えも、窃視症や性転換願望の緩いものが組み合わさった感情として説明できると思います。


 最後にやっかいなのは、オタクは、自分の恋人や恋愛対象として見ている異性に対しても「萌える」可能性があるということ。
 これは性倒錯のシミュラークルと呼べるのか、と判断を迷うところですが、なんかその時って「正常な異性愛」を更にシミュラークル化して興奮してる、みたいなトコもあるんじゃないかなあ、と思います。

  • まとめ

 こうして「萌え」をシミュラークルという視点から捉えた時に見えてくるのは、その多様性の高さと、異常と正常の判断を付けやすいところですね。
 要約すると、萌えは「カタチは異常性愛をモデルにしているけれど、その中身は、主体にとっての正常な性愛に従う」という理解が可能です。


 変な文章を書いてしまったかもしれませんが、自分的には割と思い入れのある考え方なのでご意見ご感想、反論等頂ければぼくが喜ぶと思います。

*1:最近は人権の見地から、性倒錯の定義から同性愛やフェチが省かれるケースも多いですが