HOME : リクィド・ファイア
 移行後のはてなブログ:izumino’s note

捕捉追加

izumino2005-02-11

 T-R-Lさん、K’s RESERVERさん、日記での赤松健論の紹介と感想、どうも有り難うございました。
 まぁ、ウチが長々と書いてることはそういうことですよね、と。


 それにうしとらを少年漫画のトップに位置づける御仁からお墨付きを頂けるというのもなんか嬉しいですね。
 <ネギま!編>にも書いたことですが、こと主人公とヒロインの絡め方に限って言えば、うしとらとネギまの基本構造って同じなんですよ。そりゃ感動のベクトルや熱量の差は当然あるとしてですが。
 と、いうことを先方とチャットでお話させて貰ったりしたんですが、では久しぶりに……

赤松健『魔法先生ネギま!』の読み方(6時間目)

をやることにしますか。
 今回のお題は先週と今週の話、つまり83時間目「本屋DEデート」と84時間目「キスマシーン・ネギ!?」の2話について。ここは一応ラブコメ路線に属するわけですが、実はラブコメの質的な化学変化が顕著に起こっているという点で面白い回でもあります。来週は休載なんで、再開するまではこの2話を読み込むこんで楽しむことにしましょう。

フジタ漫画から見る『魔法先生ネギま!

 結論から先に言うと、ネギが積み重ねてきたバトルや修業の経験がラブコメに反映された結果、「ラブコメの性質自体が以前と比べて変質してしまっている」ことが面白いわけです。
 「バトルパート」が全く無かった頃(1、2巻)のネギは9歳のただの子供なので、ラブコメをしようにも恋愛感情のバリエーションが

  1. ショタコンに可愛がられる(雪広あやか佐々木まき絵、他)
  2. 姉属性のヒロインに弟扱いされる(神楽坂明日菜
  3. 包容力のあるヒロインに子供扱いされる(近衛木乃香、他)
  4. とにかく惚れられるがその理由は良く分からない(宮崎のどか
  5. そもそも男扱いされてないが恋愛話でからかわれる(鳴滝姉妹、他)
  6. 逆セクハラ(その他大勢)

……に限定されていて、ネギは「男」としてヒロインに惚れられることがありえませんでした。これが要するに「ラブコメとしては文法違反」な設定だったと言われる所以なんですが。
 しかし、そこで今週の84時間目。ネギが修業の成果を瞬間的に爆発させることによって彼が内に持っていた「男らしさ」が外からも見えるようになり、その現場に立ち会ったヒロイン達のネギを見る目も「男」に対するそれに変化してしまっている……、という違いがあります。
 つまり、子供の主人公が年上のヒロインから男扱いされるには、バトルを利用するのが一番手っ取り早いんですね。
 実はこれが『うしおととら』と同じだという所で、うしとらの潮も結局は思春期前の中学生の子供なのでヒロイン達も最初は子供扱いしてるわけです。その潮が「男」として目を向けられるのは、バトルを乗り越えて内なる男らしさを発揮した瞬間なんですね。『からくりサーカス』の勝は潮よりももっと子供なんですが、やっぱりバトルや修業を乗り越えることで年上のヒロイン達から「男」として扱って貰えるようになります。


 ネギまの読者は何故かバトル派とラブコメ派(=バトル不要派)に別れる傾向があるみたいなんですが。ラブコメ派の人達は、この「バトルを描かないとラブコメの進展がありえない」というこの作品の仕組みをどう捉えているのかが疑問ですね。
 人気ヒロインであるエヴァンジェリンや刹那を照れさせたりする展開なんか、バトルが無いと起こりようの無いものだったんですが。そうでなければ、ネギがショタコンから可愛がられるだけの漫画にしかならなかったことでしょう。*1
 バトルは別に「作者が描きたいからバトル路線にしている」のではなく、ラブコメを進展させる為に描いているんだ、ということに何人の人が気付いていることでしょうか。


 あと、うしとらと共通して言えることは「主人公が能力的に強くなっても本人は少年(未成熟)のままである」ということ。ネギまの場合、82時間目でネギを幼児化させる演出をバトル前にキッチリ入れてることが効いてますね。
 主人公の成長は実はホンの僅かでしかなく、主人公を見る周囲の目の方が影響を受けて変化しているんだ、というのが少年漫画的に重要なポイントだと思います。
 何故重要かというと色々理由があって全部説明すると長くなるんですが……例えば、主人公の少年が精神的に「大人」に老成してしまえば、彼に対して大人のキャラクターが干渉できなくなるということが言えるでしょう。
 主人公がいくら能力的に最強クラスだったとしても、彼が精神的に未成熟なままだからこそ、年上のキャラクターは(例え力で劣っていても)その「生き方」を使って主人公に影響を与えることができるわけです。そうすることで主人公はまたちょっとだけ成長することが可能になる。
 うしとらだとクライマックスに出てきた深海探査艇の乗組員とかそうですし、からくりだと仲町サーカスの芸人達が「力では劣るけど、子供に道を示せる大人」の役割を担ってますね。
 ネギまの場合も「このキャラはその内ネギに追い抜かれそうだな」という程度の強さのキャラが多いんですが、やはり「生き方」を用いて道を示しているのがソツの無い所です。今の所、その方向性で一番キャラを立たせてるのが明日菜や古菲、楓、四葉五月あたりでしょうね。


 まぁAI止まラブひなの頃の赤松さんは、あまり大人を書くのが上手いとは言えなかったので……これもネギまの少年漫画的な出来の良さを計る上で重要なポイントだと言えるでしょう。
 というか、こういう漫画をちゃんと描けてること自体が驚きだったりするんですが。いつの間に勉強したんだ? っていう。赤松さんには師匠筋の少年漫画家が居ない筈なのに、っていうのもありますしね。*2

*1:PS2のゲーム版はその方向性を突き詰めることによって成功を収めているみたいですが

*2:友達に少年漫画家は居て、それが安西信行というのがまぁなんというかアレなのですが

最近思うことを追記しておきますと

 この所ネギまは刹那や本屋ちゃんといったメインキャラを重点的に掘り下げていますが、これは出番が偏ってるというより「キャラを薄めてない」と言った方がいいと思います。
 登場人物が多いからって一人々々の掘り下げを人数で割って薄めてもいいということは無く(そこらへんは通常のハーレム漫画の文法と異なる)、学祭編に入ってからの刹那の掘り下げは展開上必要なレベルだったと思うんですけどね。刹那がネギの成長を引き立てられる人材だという意味でも。